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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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熊本地震に支援 発信からつながり、連帯へ

2016年4月22日付 中外日報(社説)

「私に何ができるでしょうか?」。熊本地震の現況を伝えるテレビの報道番組で、画面に流される視聴者のツイッターのメッセージだ。東日本大震災など多くの災害を経験したこの国の国民、そして宗教者の思いも同じだろう。

被災地では全国から続々集まる救援物資の地域への配給が滞り、避難所で不安におののく人々に苦難とストレスが募る。地震による直接の死者以外に、体調不良などで命を落とす被災者があちこちで出ている。地震大国にもかかわらず道路などインフラ整備が脆弱で、災害時の行政の連携もなお不十分。「おにぎり1個を家族で分け合った」「飲み水がない」。これが、東北の被災地の復興さえ程遠い状況でオリンピックに巨額の経費が投じられる我が国の実態なのか。

そんな中で、現場で手を取り合い、寄り添う人たちが様々なメッセージを発信し、それがつながりと連帯を広げている。熊本市の高校では、集まった避難者が「SOS カミ(紙) パン 水」と校庭にパイプ椅子を並べて文字を書き、それが報道されて食糧などが届けられた。翌日、メッセージは「ありがとう」に変わった。

被災した市内の産婦人科病院の窮状を知った女性がフェイスブックで訴えかけた結果、入院中の妊婦向けに出産用品が寄せられた。余震が続く中で元気な産声が上がる。若者らがSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)に流した呼び掛けが全国に広がり、人や物が集まって、市内の商店がボランティア拠点になった。

これらはネットやメディアの力では決してなく、それを使って連携する人々の意思の力だ。東日本大震災の支援活動をきっかけにつながりができた宗教者たちもそのようにして動きだしている。伝統仏教や主立った教団の初動体制は素早かった。

また熊本県内の僧侶が、利用者75人の老人ホームで計300人が避難生活をしている、とメールで発信。「米、水、ふりかけ、おむつを求む」との情報に、東北の被災地で活動を続けるキリスト者たちの支援団体がすぐ対応した。宮城や首都圏、名古屋のキリスト教諸団体が協力し、受け入れ側でも九州全体の教派を超えたネットワークが構築された。阪神・淡路大震災以来、各地でボランティアを展開する関西の宗教者たちと東北で縁のできたイスラムのグループとが協働している。

各教団、宗教者の団体が過去の大震災を教訓に、「次に大災害が起きた時には」と準備態勢を構築してきた、今こそが「その時」だ。