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「自己責任」の乱用 包摂力が失われていく

2016年4月6日付 中外日報(社説)

昨今はやりの「自己責任」が国語辞書に登載されてから、せいぜい10年足らずしかたっていないそうである。ごく最近常用され始めた慣用語なのだ。

この言葉は慈悲に通じる「情けは人のためならず」ということわざとは真逆の、人を突き放すような冷たい響きがある。小泉政権が2004年にイラクで人質になった女性ボランティアらに対して用い、世論の激しい人質攻撃を誘発したことで知られる言葉だ。昨年「イスラム国」に後藤健二さんら日本人2人が殺害された際もネット上などで噴出した。最近はワーキングプアと呼ばれる非正規雇用労働者や貧しい母子家庭、生活保護受給者ら社会的弱者ばかりか受験に失敗した失意の子らにまで容赦なく投げ付けられる。

奇妙だが、在外邦人の安全が脅かされ国の外交力が問われたり、本当は国の福祉政策を問題にすべき場面で、なぜか救済されない不幸な人々の「自己責任」論が流布され、一部マスコミやネット世論があおる構図が間々生じる。結果として国の責任がかすんでいく。

自己責任が辞書に載った頃、米国のシンクタンクの世論調査で「自力で生活できない人を政府が助ける必要はない」と答えた日本人が4割近くに達し、世界一とされた。これには、勤勉に働く日本人の国民性は働かない人を嫌う、設問次第で結果は変わる、という反論がある。ただ昨年10月、子どもの貧困対策の寄付を募るため国主導でできた「子供の未来応援基金」への寄付が低調で、国会でも批判された。楽観はできない。

本来は美徳である勤勉な国民性も政治的に誘導されると弱者への包摂力を失い、社会は分断される。人々は複雑な思考を敬遠し、攻撃的で単純化した断定口調に引かれやすい。最近の目に余る生活保護たたきも、貧困を生む複雑な世の仕組みに想像力が働かないからだろう。人の不幸を思いやれぬ狭量な社会は、排外主義とも隣り合わせだ。

それとの連想で思い出す言葉がある。1998年「子供の本を通しての平和」をテーマにした国際児童図書評議会ニューデリー大会での皇后さまのビデオ基調講演である。

「読書は、人生の全てが、決して単純でないことを教えてくれました。私たちは、複雑さに耐えて生きていかなければならないということ。人と人との関係においても。国と国との関係においても」(宮内庁ホームページから)。時代の濁流に希望を見失いがちな人々を柔らかく包み込むような語り口。心に残る言葉である。