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荒っぽい議論の横行 宗教界は積極的情報発信を

2016年3月16日付 中外日報(社説)

情報化が進んだが、宗教をテーマにしたテレビ報道や雑誌記事の内容は、質的に高まったとはいえないのが現状だ。神社仏閣の年中行事、施設紹介など宗教が観光資源として扱われる場合は比較的充実したものが多い。ところが、少しでも社会性を帯びた番組や記事となると、質の低さが目立ってくる。例えば宗教と政治、宗教と社会貢献、あるいは戒名問題、葬儀問題などになると、基本的知識に欠ける人が平気で発言したり、記事にしたりする例を見受ける。

特に問題なのは「カルト」、ジェンダー問題など、まさに真剣に論ずべき段階になっている事柄に対して、以前より及び腰なことである。それどころか、社会的に問題があるとみられている教団に対するちょうちん記事に類するものが、目につくようになった。

あまり宗教に詳しくない人が宗教について発言できるようになったのは、ネット上に無数の宗教関連の情報があふれているのが、一つの大きな理由である。それらをもとに、もっともらしい宗教論を述べることが、さほど難しくなくなってきたからである。そのせいか、あやふやな情報がそのまま参照される度合いが増えている。ツイッターに流れている情報を、その質を確かめることなく利用したような報道や記事も目にする。

こうした事態を宗教関係者はもっと深刻に受け止めるべきである。とりわけネット情報の動向には、日頃から注意を払うべきだ。なかなかそうなりにくい一番の理由は、多くの宗教において、主たる信者の年齢層がかなり高齢化していることにある。

高齢者はネット情報やスマートフォンで得られる情報に疎い傾向があるので、口頭あるいは印刷物による伝達が主になる。信者への情報伝達は当面それでもいいかもしれない。だが、社会全体、特に若い世代に、自分たちの存在の意味や活動内容といったことを的確に理解してほしいと思う気があるのならば、社会における情報のやりとりの手段の変化に対応していかなければならない。

ネット上への情報発信は、不特定多数の人が目にする。それゆえ自分たちの教団についての情報発信も、自らを客観的に見つめるという作業が不可欠である。内向きの情報に多くの人は目を向けないだろうし、真剣に受け取ってはくれまい。結果的に社会に訴える力も弱くなる。宗教についての荒っぽい議論の横行を嘆く前にこうした視点から考えてほしい、という意見の発信に宗教関係者自体が取り組まない限り、事態の改善は望むべくもない。