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総務相「電波停止」発言 自主規制の威嚇を危惧する

2016年2月26日付 中外日報(社説)

事実を伝えるマスメディアに本来、なじまぬ言葉の代表格が「自主規制」だろう。政権の顔色をうかがい、機嫌を損ねそうだから内輪の申し合わせで報道を控える。それは権力への自発的な服従に他ならず、ジャーナリズムの自殺行為に等しい。TV業界で昨今、そんな危険な現象が顕在化し、深刻な懸念を抱いていた矢先、高市早苗総務相の放送局に対するいわゆる「電波停止」発言があった。

この発言は現政権の立憲主義への攻撃と並走し、周到に練りぬいた威嚇という印象が強い。狙いはTVメディアを自己の監督下に置き、政権に不都合な報道を「自主規制」させることだ。渦中のTV局の沈黙は不可解だが、国民も沈黙すると全体主義への道のりはさほど遠くない気がする。

「電波停止」は放送の政治的公平を総務相が判断する点で、そもそもの発想から表現の自由への認識が薄い。中でも個々の番組で判断するかのような安倍首相の言い回しが気になる。現場の番組制作者はこれをどう受け止めるか。

例えば原発再稼働を急ぐ政権の下で、脱原発を主張する番組制作は相当の勇気が要るはずだ。局の意向で不本意だが諦めざるを得ない事態は十分予想がつく。

そういえば「KY」という俗語が流行したのも2007年、第1次安倍政権の時である。空気を読むという同調圧力の強い日本ならではの社会潮流だが、今なら「自主規制」がぴったりくる。

先日、TBS系列デジタル放送局「BS―TBS」で「世界で最も“自主規制”する国ニッポン」という番組を見た。外国人記者が日本を語るシリーズの一環。米英仏中などの記者が総務相発言を受け日本のメディアに「政府に遠慮したら、政策の是非を国民が判断できない」など厳しい注文を発していた。中国の女性記者も「このままでは中国のメディアと変わらなくなる」と辛辣だった。本当は日本のTV関係者が訴えるべき懸念だ。視聴者の多くは妙な気分にさせられたのではないか。

安倍首相はTV出演中、アベノミクスへの否定的な“街の声”に気色ばむなど批判への耐性が乏しく、報道に神経質な対応を取る。一方、視聴率至上のTV局は芸人の言葉の瞬間芸で笑いを取ったり出演者が騒ぐだけだったりと、番組の質の低下で信頼感をなくしていく。総務相発言は、そうしたTV界の足元を見た政権の巧妙なメディア戦略と見るべきだろう。

メディアが政権との緊張関係を失うと国民が被害者になる。待ち受けているのは間違いなく復古的改憲による戦前へのUターンだ。