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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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「一億総活躍社会」 仏教とは似て非なる理想

2016年2月3日付 中外日報(社説)

安倍政権の目玉施策である「一億総活躍社会」の実現を担う加藤勝信・担当大臣が昨年末、伝統仏教教団の宗会議員有志らが開いた勉強会の講師に招かれ、「『一億総活躍社会』とは、多様な人材が活躍する土壌をつくること」などと述べ、仏教界にも理解と協力を要請した。

首相の諮問機関・一億総活躍国民会議によれば「一億総活躍社会」とは、「若者も高齢者も、女性も男性も、障害や難病のある方々も、一度失敗を経験した人も、みんなが包摂され活躍できる社会」のことだという。

仏教をはじめ様々な宗教が、全ての人々の命、個性が光り輝き、尊重される社会の実現を理想に掲げている。その点では、「一億総活躍社会」と相通じるものがあるが、決定的に異なっていることがある。

それは、国、政府が目指しているのは「全員参加型の経済社会」であり、少子高齢化や出生率の低下が招く、生産年齢人口の減少(2030年問題)を見据えた、あくまでも社会、経済政策であるということだ。

極論すれば、戦前、戦中に戦争に勝つために国民に「産めよ、増やせよ」と呼び掛けたのと、発想の根本は同じである。違和感を覚える人が多いのも当然だろう。

「みんなが包摂され活躍できる社会」といえば確かに聞こえが良い。しかし一歩間違えば、働きたくない人、あるいは働きたくても働けない人にも働くことを強要するような社会をつくり出す恐れもあり、そのような人たちにとっては生きづらい世の中が出現することになりかねない。

宗教界が目指す理想社会はそうではないだろう。むしろ、宗教、特に縁起の思想に基づく仏教は、政治や経済など世間の価値観を相対化するところに特色があるはずだ。

もちろん、宗教教団、宗教者もこの現実社会の中に存在している限りは何らかの制約を受けざるを得ない。「真諦」と「俗諦」の関係をどう考えるかは、宗教にとって永遠の課題の一つといえる。

戦前、戦中の戦争協力は、当時の宗教教団の関係者らには、今で言うところの「社会参加」のようなものと受け止められていた、との見方もある。

「お国のためは仏様のため」などと教えを歪曲して檀徒・信徒を戦場に送り出した過去を思う時、自らの根本(「真諦」)は何かを顧みることなく、政治の論理や世俗の価値観を安易に受け入れ、いたずらにそれに振り回される轍を再び踏んではならない。