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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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組織の品格を問う 宗教者による「薫習」とは

2016年1月29日付 中外日報(社説)

異物混入の疑いのある食品が廃棄物処理業者から不正に大量流出した事件が先頃、愛知県で発覚した。この業者も悪質だが、廃棄物を食品として転売した食品業者もどうかしている。また長野県では、前途ある若者たちの命を奪ったスキーバス転落事故が起こった。これらで露わになったのは、企業経営のずさんな実態である。

大きな事件や事故が起きて今さらのように痛感するのは、企業組織としてのコンプライアンス(法令順守)の問題である。食品業者にとっては食の安全が、バス会社にとっては人命の安全が基本中の基本のルールであるが、それらが後回しにされていた印象が強い。コンプライアンスは組織が社会的信用を保つために不可欠だが、これは守ろうという意思があって初めて守られるものだ。法令順守にはそれ以上の倫理的努力が不可欠である。

組織の品格もまた、コンプライアンスにより形成される。そもそも、品格というものは一朝一夕に出来上がるものではなく、手間暇かけて不断に努力する中から形作られるものだ。品格の形成は仏教の言葉で言えば、まさに「薫習」とも形容できるだろう。ここで言う薫習は、香りが周囲の物に染みていくように、人には人徳、会社には社徳を染み込ませていくことである。

同じことは宗教界においてもいえる。大多数の宗教者や宗教教団は人々の救済と社会の安穏を願い、祈りと献身に日々つとめている。ごく一部の不祥事のために、宗教界全体が非難されるとしたら残念なことだ。しかし、もし社会全体に宗教への信頼感が揺るぎないものとして存在していれば、一握りの関係者の起こした問題で宗教界が色眼鏡で見られることはあり得ない。

そのためには、普段の暮らしの中で、宗教者が自らの行いや態度で周囲の人々を感化し善導するようでなければならない。まさに、それが宗教者による世の中の薫習である。宗教者は絶えず自らを振り返り、良い香りを自他に醸し出していくように心を配ることが大切だ。また同時に、自らの気が付かないうちに怪しげな匂いを振りまいてはいないか、常に点検することも忘れてはならない。

競争原理がはびこり、効率優先の風潮の中で、経済面の貧困だけでなく、心の貧困化も進行している。心の貧困は人間関係の貧困とも関連する。そうした時、宗教者が人々の間に分け入り、心のケアに当たることがますます重要となる。世の中の薫習もまたその中で果たされるものなのである。