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第2走者出番の年 戦争体験は継承されたか

2016年1月15日付 中外日報(社説)

戦後70年の昨年は、戦争を知る世代から知らない世代へ体験を語り継ぐ年であるとされた。今年はタスキを引き継いだ第2走者が駆け出す年だ。タスキは確実に受け継がれただろうか。

戦中生まれの元新聞記者の福岡克氏が告白した。「日露戦争は太平洋戦争の終戦より40年前の出来事だ。しかし私にとって日露戦争は、はるか遠い昔の物語だった。まして今の若い人が、70年前の太平洋戦争を身近な現実として受け止めるのは難しいと感じた」と。

終戦数年後に生まれた文筆家の小玉節郎氏は、雑誌の取材で戦争末期の特攻(特別攻撃隊)を調べた。「特攻とは飛行機で敵艦に体当たりすることと思い込んでいたが、取材を重ねるうち回天や震洋など、海の特攻があり、陸では戦車への体当たり訓練もあったことを知った。認識不足だと気付かされた」

小玉氏と同年代の作家・橋本治氏は月刊誌に寄稿したエッセーの一部に、要旨次のように記した。「当時の軍部は、すぐカタがつくとの考えから、日中戦争も太平洋戦争も『宣戦布告』なしで始めてしまった」と。確かに日中戦争は宣戦布告せず「日支事変」と称して中国に攻め込んだが、太平洋戦争では米英に対する宣戦の詔書が発布されている。ただし、アメリカへの交渉打ち切り最後通牒は遅れた。年月がたてば、残念ながら不正確な言説も増える。

さて、昨年12月2日の本欄では早稲田大合唱部出身者が、先輩の記した戦争体験記を出版し、現役の部員に配って平和の思いを伝えたことを記した。出版の中心となった上谷章夫氏(74)らは、居住地の千葉県流山市でも「明日も平和であるために を推進する会」を組織し、老人クラブや遺族会などの協力を得て、市民から戦争体験記を募集・出版した。

空襲、学童疎開、代用食、勤労動員、引き揚げなどを記した八十余編が集まり『戦後七十年・語り継ぐ戦争・流山からのメッセージ』と題して出版された。約370ページの大著である。

流山市はベッドタウンとして発展した。体験記は上谷氏ら戦後の住民を中心に編集されたが、この中に旧市街に住む古老らの談話7編も収載されている。土地の歴史を知る住職や寺族らを「女性聞き書きの会・みらい」の会員が訪問して、農村だった流山にも戦争の嵐が吹き荒れたことを聞き書きした。この出版を機に、新旧老若市民の交流が活発になった。平素、文筆に携わることのない人々が成果を挙げることもある。第2走者の道は平坦ではないが……。