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功利的思考の限界 全体性の「悟り」が重要

2015年11月11日付 中外日報(社説)

かつて人々は、世界を支配しているのは神々であり、災厄は悪霊どもの仕業だと思っていたので、平和と安全を祈る儀式が営まれ、悪霊を退散させる技法が考案された。しかし次第に物事には原因があることが分かってきた。多くの病気を引き起こすのは細菌であり、天体の運行には法則があり、雷は放電現象であること、また生物のからだの構造や生殖の仕組み、地震や噴火を惹起する地殻の変動なども明らかになってきた。

このように近代になって自然科学が発達し、その成果を技術に応用して経済システムに組み込むことが始まり、経済は大成長を遂げ、生活も一変してしまった。他方、国力の増強は侵略と強国同士の戦争を生み、技術の発達は人類の破滅を可能とする武器を造り出し、経済成長は格差と不況をもたらすばかりではなく、環境破壊と温暖化のような地球的危機を招くことも分かってきた。抗生剤の発明は感染症を克服したと思われたのに耐性菌が出現したというような事実もある。

近代文明は科学と技術の応用によって他者を自分の都合の良いように変えようとしてきた。人間の知性は主としてそのために用いられたように思われる。法則を認識し、認識された因果関係を応用し、望ましい結果をもたらす手段を使って目的を達成する、ということである。しかしそれは思うようにはいかないことが、ますます明瞭になってきた。手段が思わぬ結果を生むのである。

複雑系の発見は、必然的法則が全てに貫徹するという信念を揺るがした。矛盾のない体系は―体系が十分に大きな場合だが―不可能だということを「ゲーデルの定理」が明らかにしたことも考え合わされる。それは必然的法則の適用範囲は限られるということだ。

近代人は自分を変えずに他者を変えようとしてきた。しかし現実は思い通りには動かない。そもそも近代人は「個」を確立したというが、実は立てられたのは「自我」である。その自我は身体からも独立して身体をも支配しようとしてきた。しかし誰でも知っているように、からだは自分の思い通りになるものではない。

ここに一つ重要なことがある。自我が身体から独立して身体を支配しようとするとき、身体は肉体に変わって自我に反抗するということだ。そればかりか身体から独立した自我は身体の全体性を見失う。自我が身体の一部一機能に復帰したときに初めて人間の全体性が明らかになる。実は「悟り」こそ、その方向を示すものなのだ。これは改めて強調しておきたい。