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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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仏教教団と僧伽 法人制度とは別の価値

2015年10月28日付 中外日報(社説)

伝統仏教教団の現代的役割や意義を考える会合が先頃大阪で開かれ、各宗門要職者を含めて多くの僧侶が参加した。国の宗教法人制度を前提に、「宗教の社会貢献」「公益性」「社会的責任」といったキーワードが象徴する方向で議論が展開されたが、これには留保が必要だろう。

「優遇税制」論を絡めた法人の公益性の論議には危うさが付きまとう。教団が「国益」のために戦争協力に邁進した戦前を想起しても分かる。そもそも国法によって根拠づけられる「行政的制度」としての法人、ここでは「包括宗教法人」としての教団というものが誕生するはるか以前から、「宗門」は仏法に根拠づけられて存在した。そのような信仰共同体としての「僧伽」と、法的な「教団」とは別次元で考えるべきものだ。

会合では、教団の現代的意義の一例として「ブランドの信頼性」が挙げられたが、例えば東日本大震災の被災地で伝統仏教の僧侶が信頼されたのは、行政が認証した包括宗教法人のクレジットではなく、伝統ある僧伽としての宗門の訴求力だろう。

さらに言うならば、仏教が時代を問わず人間の生きざま、生活を導く大きな教えであるならば、近代資本主義社会が生み出した権利主体としての法人という概念などによらずとも、その共同体の姿はおのずと描き出されるはずだ。

また、「社会と宗教」という対比型や「社会の中の宗教」という観点ではなく、「宗教が社会をその中に包摂している」という根本的視点に立てば、「貢献」という外部からの働き掛けのようなものとは違うベクトルが立ち現われよう。宗教は本来、そのような高邁な理念と自信に根差しているべきものではなかったか。

とはいえ実際には教団は、宗教的共同体と実務組織とが一体だ。先の会合で講演者が包括法人の役割として、被包括法人つまり各寺院への法令順守などの指導、災害や不祥事などの危機管理、共益確保や行政介入への対処などを挙げたのは示唆的だった。それらは人員や財産の管理といった「非宗教的」「俗」なる領域で、その多くが教団自身のための働きだ。

翻ってみれば、僧伽たる宗門の役割は、社会の現場に接する末寺や個々の僧侶による宗教的な営みの支えだろう。つまり、単なる資格研修カリキュラムではなく日常の教化活動を担える信仰の深みを備えた人材の育成や、目に見える働きでは被災者支援などの活動の組織的バックアップという側面だ。世間の宗門への信頼はそこにこそ係っていると言えよう。