ニュース画像
多くの人が見守る中、彰義隊墓所で盛大に営まれた150回忌法要
主な連載 過去の連載 エンディングへの備え
苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
購読のお申し込み
新規購読キャンペーン
紙面保存版

自分らしさとは 自己も他者との関係で成り立つ

2015年10月9日付 中外日報(社説)

アイデンティティーという語がある。「同一と差異」の同一のことだが、「私は生まれてから今までずっと同じ私である」という「自己同一性」の意味でもある。権利や責任は人格の自己同一性を基盤としているから、この概念は極めて重要だ。ラテン語からの借用語なのだが、欧米ではよく用いられている。

他方、近代以前の日本語には「自己同一性」に当たる語はなかったようだし、今でも馴染みが薄い。仏教には「自性」という語があり、これはちょうどアイデンティティーに当たるのだが、仏教では否定的に扱われている。(無自性)。そもそもアイデンティティーを厳密にとると「私は私によって私である」ということで関係性の否定に傾く。だから「縁起」(関係性)を重視する仏教では無自性が説かれたわけである。「自性」が日本語として一般化しなかったのはそのせいだろうか。

「私はずっと同じ私である」といっても、私は岩のように不変の同一物質として存続しているわけではない。身体は新陳代謝によって成り立っているから、他者との関係の中で新しく――しかし同じものとして――生成する面がある。だからこの面は同一性というよりむしろホメオスタシス(恒常性)という方が正しい。こころも同様で、ろうそくの火のように絶えず新しく成り立つ。一般に、自己同一も他者および自分自身との関係の中で成り立つものである。

「私は私だ」という意味での「自己同一性」という言葉は日本人には馴染みが薄いといったが、これはかつて日本では個人主義が希薄で自我も発達していない、などといわれたこととも関係があるのだろうか。あるいはそうかもしれない。

実際、かつて滅私奉公という言葉があって、軍主導の全体主義の合言葉になった。それへの反省から、戦後は教育でも社会生活でも、自我の強化が図られている。「自分らしく生きよ」とか「自分さがし」などがいわれるのである。

しかし他者との関係性を軽視する自己主張は自己中心的になりやすい。我執的・我欲的にもなりがちである。現代では社会の構造自体が自我の強化を促している。それが直ちに我執我欲と結び付くわけではないが、アイデンティティーは実は関係性の中で成り立つという、一見矛盾した事実は忘却されている。

現代社会では、自己中心性に対抗する、正しい意味での「無自性」が説かれる場所、説く人が必要なのではないか。