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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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子どもをめぐる危機 現代の寺子屋で居場所作り

2015年9月11日付 中外日報(社説)

人生で最も楽しい時期であるべきにもかかわらず、子どもたちが理不尽にも命を奪われたり、あるいは自ら命を絶ったりすることほど、痛ましいものはない。

最悪の結果を迎えた寝屋川の事件では、誰もいない未明の商店街を2人の中学生がさまよっている姿が防犯カメラに捉えられていた。事件に巻き込まれた背景に、家庭環境に問題があったと指摘するのは容易であろう。しかし、視点を変えれば、その場合でも一時的にしのげる避難場所はなかったのかという疑問が生じる。

子どもにとって安住の場である家庭が機能不全を来し、かといって勉強や集団生活の重圧、いじめなど学校にもつらくて通えない。逃げ場所や居場所をどこにも見いだせずに、子どもたちが行き場を失っているのが現状である。

8月下旬、鎌倉市図書館の女性司書が書き込んだ「学校が始まるのが死ぬほどつらい子は、学校を休んで図書館へいらっしゃい」というツイッターの投稿が話題になった。学校にも行けない、さりとて家にも居られない。それなら「図書館にどうぞ」というわけだ。図書館には利用者の秘密を守るという原則があり、子どもにとっての一時避難場所になり得る。

それならば、どの地域にも存在する寺院や教会などの宗教施設もまた、子どもたちの逃げ場所や居場所になってもよいのではないだろうか。場所的にもそうした空間は十分提供できるものだし、僧侶や教会長には守秘の義務もある。

実際に宗教者はすでに様々な動きを始めている。率先して地域の見守り活動をするだけではなく、お寺を開放して子どもたちの居場所づくりを進めたり、フードバンクを活用して貧困家庭へ食糧支援をするなど、現代の寺子屋の動きが見られる。また、教会で里子を受け入れる活動に積極的な新宗教教団もある。しかし、宗教界全体としては、これらはまだほんの一部の動きにすぎない。

血縁や地縁が機能しなくなり、無縁社会と呼ばれる現代日本において、寺院や教会がそうした居場所になるならば、宗教施設も大きな社会的存在意義を発揮できるはずだ。そこで、人は生きづらさから解放され、人間性を取り戻すこともできるだろう。

子どもたちにとっても、宗教施設がそのような居場所になれば、単に一時的な避難場所を与えるにとどまらず、自然な形で宗教的な情操教育も行われ、命を大切にする心も芽生えてくると思う。その意味でも、現代の寺子屋が今後いっそう増えていくことを期待したい。