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高等教育再編の危機 人文社会系軽視の浅はかさ

2015年8月28日付 中外日報(社説)

文部科学省は6月上旬に、今後の大学の教育を左右するような通知を行った。全国の国立大学に対する、人文社会科学系、教員養成系の学部や大学院の規模縮小、あるいは統廃合などの要請である。

人文社会科学系の縮小の背景には少なくとも二つの議論が深く関わっている。一つはこのところ急に勢いを増した高等教育における実学重視の流れだ。実際にどうかは別として、理系の学問は社会に出てすぐ役立つ学問であると思われている。あらゆる分野にハイテク化が進行する時代においては、それについていける基礎的力を大学教育においてつけてほしいというのは、もっともな要求である。また学問を再編成し、より広い視野から学べるようにするのであるなら、それも結構である。

だが、事はそう簡単ではない。そもそも人文社会系などと一くくりに議論できる話ではない。ひところ文理融合という掛け声が盛んだったが、その関係はどうなるのであろうか。諸領域の再編成を視野に入れているのなら分かるが、一部の領域の縮小統廃合だけ示しているのはおかしい。

もう一つは大学をG型とL型に分けるというものである。G型とはグローバル型で、グローバル人材を育てる大学、L型はローカル型で、職業訓練校的な教育を施す大学だという。差別観がむき出しだ。これを主張した文部科学省有識者会議メンバーの冨山和彦氏は、文学部はシェークスピアや文学概論ではなく、観光業で必要な英語、地元の歴史、文化の名所説明力を身に付ける、などとしている。

だが、そうした説明力を養うのは、各々の文化圏についての基礎知識があってのことだとは考えないのだろうか。教育は次世代を育てるためのシステムだ。今有効なものが20年、30年後に有効とは限らないし、どの分野がより必要とされるのかも分からない。しかし、時代が変わっても必要な基礎力というものがあり、知を大切にする姿勢は変わってはならない。

人文社会系縮小の流れからすると、宗教研究などは真っ先にやり玉に挙げられかねない。しかし、グローバル人材とは10年先、20年先の日本や世界を想像しながら思考し行動できる人であってほしい。そのような人は狭いエリートコースから生まれるのではない。あらゆる分野のあらゆる学びから一握りずつでも生まれなければならない。大学はそのような仕組みにしなければならないのであり、目先の利益・国益だけを論じる人々に高等教育が左右されることのないよう、大きな警戒感を持つべきである。