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戦後70年の決意 涙骨の時代を超えて

2015年8月5日付 中外日報(社説)

近年、各教団は宗教者の戦争責任を自ら問い、非戦の決意を表明、また懺悔文を発表している。それを報道した本紙もまた、戦時下にどのような姿勢をとってきたのかを自ら検証し、責任を明らかにする必要がある。戦時体制下の言論受難の時代に新聞を発行し続けることができたのは、それなりの理由があったからではないか――。戦後70年を機に、宗教専門紙としての立脚点を問いたい。

創刊者である社主・真渓涙骨は「新聞は時代を映す鏡」と認識していた。実際、毎号の紙面は宗教界の日々の動きを報じ、戦時下では大本営発表も伝えている。その意味で1897(明治30)年に『教学報知』として創刊して以来の紙面は、宗教界の歴史を映す一級の研究史料と言ってよい。

涙骨が書く「編集日誌」は多くの読者に愛読された。戦前戦中の紙面に「社説」はなく、主義主張を掲げて世論に訴えることはなかったが、涙骨の日誌は、いわば社論にも等しい読み物だった。

中国への侵攻や、連合国との泥沼の戦いにのめり込んでいく日本の戦争を涙骨が明らかに批判した形跡は見当たらない。かといって戦時体制翼賛のペンを振るったわけでもない。国が掲げた「新東亜の建設」の行く末を案じ、また戦果を喜び、戦雲が怪しくなると隠すことなく慨嘆した。

時勢への批評らしきものは日誌に織り込まれた寸言の中に、わずかに見られる程度。消せないのは、終戦直前まで紙上で軍用機献納資金の寄託を呼び掛け、「読者号」を3機献じた事実である。

涙骨の筆は終戦で大きく変化する。敗戦直前の8月11日付日誌に「いよいよ最後の段階に突進してきた。一億悉く一死を覚悟すべき瞬間の秋だ」と書いた涙骨は、敗戦の「聖断」を聞くやガラリと変わり、8月15日をまさに「神風」が吹いたのだと受け入れる。

「敗恩を感謝する」とまで想念を転換した涙骨と戦争について、現代の中外社員は何を問うべきだろうか。涙骨を問うことは現代の中外日報が自らの使命を問うことに他ならない。その際、本紙が過去に紙面の偏向を認めて読者に謝罪し、「再生」を誓った事実にも向き合わねばならない。

課題は「涙骨の時代」をどう超えていくかにある。本紙は今日、宗教界の動きを「広く、深く」伝え、宗教と社会を「つなぐ」役目を担い、宗教と社会に相通じる問題を読者と共に考える方針を打ち出している。同時に、言論機関としての正確かつ公正な立場を自ら検証する心構えを忘れない決意を読者に改めて表明したい。