ニュース画像
関係者に感謝の言葉を述べる田代弘興化主
主な連載 過去の連載 エンディングへの備え
苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
購読のお申し込み
新規購読キャンペーン
紙面保存版

被爆70年を期して 「運命」の神話から学ぶ

2015年7月17日付 中外日報(社説)

ローマ神話に登場する運命の神フォルトゥナは、羽根付きの靴を履き、不安定な球体に乗っていると信じられていた。運命は気まぐれなもので、わずかな力が加わると、どちらへでも傾くと信じられていたようだ。

70年前の8月6日朝、広島では前夜から発令されていた警戒警報が解除された。中学校の校庭に立って校舎の警備に当たっていた生徒らは、ほっとした表情で木造校舎の教室に入った。そこへ原爆の白い光線が走った。

倒壊した校舎の下敷きになった生徒の一部は命を失ったが、大部分ははい出すことができた。もし警報が解除されていなかったら、全員が校庭で熱風を浴び、犠牲者が増えただろう。

3日後の8月9日、長崎市では海軍に召集された学徒兵が、市街地の警備を命じられた。一列に並んで「123、123……」と唱えるよう指示された。同じ番号を唱えた者同士で3班に分かれ、目的地へ移動した。そのうち2カ所は爆心に近いため全員が死亡。1カ所は離れた場所だったので、無事だった。

生き残った学徒兵が戦後、何度もこう語るのを聞いた。「最初に整列した時、一人でも順序が違っていたら、私の命はなかった。多くの仲間は、私の代わりに亡くなったようなもの。申し訳ないという思いでいっぱいだ」

あの年、全国の学徒は男女を問わず軍需工場に動員されていた。広島でも長崎でも、出番を交代したために生死が入れ替わったという話は数限りがない。出勤の列車が遅れ、トンネルを出ていなかったので直撃を免れたとか、工場で取り落とした工具を拾おうと身をかがめたため、機械の陰になり、爆風を受けずに済んだなどの例も多い。

これが運命だと感じた人は少なくないはずで、広島での被爆体験を語り続ける「証言者」の一人、新井俊一郎さんは言う。「生き延びた者が、運に恵まれたと感じているのは事実だ。しかし私は証言する時『運良く生き残った』という表現は使わない。他の証言者も同じです。生と死の重い分かれ道を語るには適当でない。その言葉の底には、自分は良かったという思いが籠もると感じるからです」

あの年、広島と長崎で生き残った者は「死に後れた後ろめたさ」を感じながら、70年を生き抜いてきた。その実相を学ぶどころか、政治の世界では内外を問わずフォルトゥナよりもさらに不安定な球体の上での駆け引きが繰り返されている。人類は「運命」の神話から学ぶべきだろう。