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国家と宗教の関係 政教分離の意義重視を

2015年7月3日付 中外日報(社説)

明治以降、宗教法の制定は何度か試みられたが、初めて成立したのは宗教団体法で、太平洋戦争直前の1939年のことである。しかし、終戦の年の12月に国民の自由を弾圧する法律として、GHQの人権指令によって廃止された。6年余の短命の法律だった。

宗教団体法廃止後は、法律に代わる勅令(ポツダム勅令)として宗教法人令が設けられた。同令は準則主義つまり届け出だけで法人を設立できる方式であったため、宗教団体でないものが宗教法人格を取得したり、教団からの分派、独立が相次いだりした。そのため同令は批判を浴び、新たな立法措置が必要とされて認証主義を基本とする宗教法人法が制定(施行は51年4月)された、と旧文部省『学制百年史』は述べている。

認証という行政行為は裁量の余地がない。法人規則が法律に適合していることなどを確認するだけである。文化庁宗務課の元専門職員の竹村牧男・東洋大学長や洗建・駒沢大名誉教授は、宗教法人法の下、再始動した宗務課には「仕事をしないのが仕事」との共通認識があったと回顧している。宗教法人に対しては「法人活動に関する事務…以上の関係に立ち入ることは厳に戒められた」(竹村『宗務時報』№116)というから、政教分離の緊張関係を強く意識した自戒であろう。

これと対照的に、戦前の宗教行政は宗教団体に深く干渉した。文部省宗教局に宗務官が置かれ、教義などを調査し、教団を指導したという。大本やひとのみち教団(PL教団の前身)などが不敬罪で弾圧を受ける状況下、こうした指導には監督官庁のある種の善意も含まれていたかもしれない。だが、各宗派の戦時教学が形成される歴史的過程に、抗いがたい外圧として働いたわけである。

敗戦、翼賛体制崩壊を機に宗務行政はがらりと変わったが、最近、再び、政教関係は厳密な分離から緩和へと風向の変化を見せている。自民党の憲法草案が信教の自由と政教分離を規定する20条の改正を提案しているのは象徴的な動きだ。

オウム真理教事件を機に、行政による宗教団体の実態把握を求める声を背景として宗教法人法が改正され、宗務課の権限も実質的に拡大された。

しかし、明治以来の歴史を振り返れば、これは歓迎すべき傾向といえない。政教分離は一面では窮屈な制約だが、信教の自由の制度的保障として、窮屈さは進んで受容すべきだろう。国家が政教分離のタガを緩める動きを示すことには、やはり警戒する必要がある。