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台湾へ届いた封書 「平信」に秘められた力

2015年6月26日付 中外日報(社説)

人間国宝の能楽師狂言方・山本東次郎氏(4世)は幼い頃、父親宛て郵便物の封筒の左下に「平信」と書かれたものがあるのに気付いた。「親展」とか「侍史」などと記す「脇付」の一種らしい。どういう意味かを父の3世・東次郎氏に尋ねた。

「封書を受け取ると相手は、面倒な相談ごとの手紙ではないかと緊張するかもしれない。あなたを驚かせたり不快にする内容ではなく、近況報告ですよと予告するための脇付だ」と教えられた。文通がコミュニケーションの主流だった時代である。

さて、手紙といえば先頃、熊本と台湾を結ぶ1通の話題が、幾つかの新聞に報じられた。昨年、戦前の甲子園大会に出場して準優勝した台湾の野球チームの記録が映画化された。熊本県玉名市に住む106歳の高木波恵さんは昭和の初め、台湾・台中市で小学校の教員をしたことがあり、当時を回想しつつ、教え子の一人に娘の代筆で手紙を出した。内容はもとより「平信」である。

台中の郵便局員で28歳の郭柏村さんは困った。住所表記が戦前とは全く変わっており、配達のしようがないからだ。

しかし郭さんは考えた。台湾でも郵便物は、役所からの通知やダイレクトメールばかり。その中で高木さんの封書は分厚く、しかも墨書されていた。これは発信者の思いのこもる一通に違いない。ぜひ届けてあげたい、と。

郵便局の同僚や住民の助けを借り、何日もかかって宛て先を突き止め、配達することができた。80歳代の教え子は病気療養中だが、健在の元同級生らが手紙を読み、懐かしい「高木先生」に返事を出したそうだ。

数年前に福岡市を訪れた折、戦後間もない頃に世話になった「天神ノ町」在住者の消息を求めたことがある。だが今の市民はその町名を知らず、ようやく現在の「中央区天神」の一部であることが分かった。地番改正から50年たつと「天神」の字が残っていても捜しにくい。戦前の地名表記で発送された高木さんの手紙の宛て先を追求した、郭さんの苦労が偲ばれる。

仏教史を顧みると、中世の日蓮聖人の遺文(御書)の中の書簡文や、蓮如上人の御文章(御文)の多くが「平信」の形をとりながらも重い教訓を含んでいたのに気付かされる。今の仏教界でも平易な文面の「寺報」による文書伝道が寺檀関係を固く結び付けている例が多い。ネット全盛時代にあっても「平信」が効果を上げる場が多いのではないだろうか。