ニュース画像
多くの人が見守る中、彰義隊墓所で盛大に営まれた150回忌法要
主な連載 過去の連載 エンディングへの備え
苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
購読のお申し込み
新規購読キャンペーン
紙面保存版

無分別の分別 契約社会と宗教の価値

2015年6月24日付 中外日報(社説)

詐欺の被害が拡大している。内容も様々で、偽りの儲け話で人を釣って金を騙し取るという、欲に付け込んだものがある。あり得ない脅しをかけて金を奪うのは、単なる脅迫ではなく、弱気に付け入る詐欺である。最近目立つのは特殊詐欺といわれるもの、いわゆるオレオレ詐欺、振り込め詐欺で、手口はすでに広く知られているのに、いまだに後を絶たない。被害額も増加傾向だという。無用心な人が多いのかと思うが、騙す手口も手が込んできている。

ところでこの種の詐欺が特に悪質なのは、人の善意、好意に付け込む点である。こうして、うそに無防備な、無邪気で信じやすい善意が蝕まれてゆく。これは自然破壊に勝る。目に見えないだけ悪質な、人間性の破壊である。知らないうちに詐欺の片棒を担がされ、自責の念に駆られる者もいるのではないか。騙された方も、人に知られれば軽蔑と非難の対象になるばかりではなく、自責にとどまらない深いこころの傷を抱え込むことになるという。

かつての村社会がそうだったように、人々がお互いによく知り合い心情的にも結ばれていたときは、自然な信頼関係が成り立っていた。近代社会では知らない者同士が付き合わなくてはならないから、関係は契約関係に変わってゆく。それでも相互信頼は必要で、これなしでは現代社会は成り立たない。各人がそれぞれの義務・役割を果たすという信頼があればこそ、自分も自分の義務・役割を果たして、この世で無事に生きてゆくことができる。

しかし詐欺は信頼関係を壊してゆく。昔は、人を見たら泥棒と思えといわれたものだが、電話がかかってきたら詐欺と思えという警告もそのうち冗談ではなくなるかもしれない。

さて「無分別の分別」という言葉があって、鈴木大拙氏がよく使っておられた。例えば宗教者は自他を分かたないから我欲がなく、無償の施しをすることができる。むろん分別はやはり必要で、いくらなんでも詐欺漢には施しは無用だ。しかし今の世では無分別が存在する余地が失せ、人間関係は法的に有効な契約関係が中心になってゆく。あらかじめ離婚の条件を決めて結婚する人があり、子供に僅かな金を貸すときにも証書を作る例があるという。

こうして、清らかな優しいこころ(無分別)が失せてゆき、現代は分別だけがはたらく世界になってしまう。これは宗教の生きる余地がなくなる世界である。しかしだからこそ逆に、現代には宗教が必要なのではないか。