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参列者が念仏を称える中、伊藤門主は1292霊の法名が記された御回向帳を1枚ずつ手繰った
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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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儀礼の簡素化 信仰共同体の喜びの創出を

2015年6月17日付 中外日報(社説)

ある民間のシンクタンクの調査によれば、既婚女性の約4割が自分の葬儀はしなくてよいと考えており、葬儀はやるべきだと答えた人でも、6割が法名や戒名は不要と思っているという。

堅苦しい葬儀は望まない。通夜も葬儀も執り行わず、火葬儀式だけでよい。地縁・血縁の希薄化や少子高齢化などによって、直葬や葬儀の簡素化を求める人たちが増えている。

ある伝統仏教教団の幹部はこのような風潮を深刻に受け止め、「法要儀礼の簡素化は、これからの宗門に重い課題を突き付けている」と危機感を募らせたが、人々は一体どのような宗教儀礼を望んでいるのだろうか。

一時期、島田裕巳氏の著書『葬式は、要らない』の出版をきっかけに、「葬儀不要論」が注目を集めたことがある。

しかし約2万人もの死者・行方不明者が出た東日本大震災が起こった後、僧侶らの追悼、供養の読経、法要儀式の持つ意味と力が改めて見直された。

「葬式仏教」は伝統仏教に対する批判の常套句だが、もう20年以上も前に「葬式仏教」をテーマに開かれたシンポジウムで、パネリストの宗教学者は「僧侶が本当に真剣に葬儀と向き合っていないから、そういう批判が出る」と指摘した。

宗教にとって教義と共に儀礼は必要不可欠であり、カトリックの典礼主義を批判するピューリタニズムは儀礼を救いの条件とは認めないが、「儀礼なき宗教」はあり得ないと言ってよい。

その宗教にとって不可分な儀礼の根本的な意味を踏まえることなく、「人々が簡素な葬儀を望んでいるから」という理由で儀礼の簡素化に傾くのは、宗教教団としての自らの存在意義を否定することにもなりかねない。

戦後、多くの伝統仏教教団が「家の宗教」から「個の宗教」へと「宗教の私事化」路線を進めたが、その過程で「共同体の創設」(エミール・デュルケム)という「宗教の本質」が希薄化したとの指摘もある。

個人の悩みや苦しみに寄り添い、救いを説くのも宗教の大切な一面だが、宗祖が開いた教えによって皆が共に救われていく喜びを味わう場を創出することもまた、宗教(教団)の務めであり、そのためには儀礼の果たす役割が重要になる。

「儀礼の簡素化」より、僧俗が信仰共同体の一員として一体感を実感できるような儀礼の在り方を模索することが、今、必要な課題ではないだろうか。