ニュース画像
多くの人が見守る中、彰義隊墓所で盛大に営まれた150回忌法要
主な連載 過去の連載 エンディングへの備え
苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
購読のお申し込み
新規購読キャンペーン
紙面保存版

ある副社長の余生 身ぐるみ捨てて仏門に

2015年4月24日付 中外日報(社説)

・妻恋へば夜更けの聞ゆ青葉木菟

毎日新聞社副社長を辞任した藤平信秀氏が仏門に入り、天台宗の僧・寂信となったことをトップ記事で伝えたのは、意外にも産経新聞系の『夕刊フジ』であった。1988(昭和63)年である。「寂」の字は仏道の先達、瀬戸内寂聴尼の法名にちなむ。

・十年にして中律師円座干す

天台宗は、俗世での経歴がどうあろうと、僧階最下位の権律師からスタートする。10年かかって下から3番目の中律師になった。警察なら巡査部長クラスの地位だ。瀬戸内氏が京都・嵯峨野に開いた寂庵の執事を務めた。

寂庵では毎月1回、瀬戸内氏と親しい俳誌『藍生』主宰の黒田杏子さんが「あんず句会」を開いていた。その縁で藤平氏も俳句を学んだ。句会の日は選句用紙を配ったり、会費を集めるなど、こまめな世話をした。

・麗かに寂庵の門開きけり

吟行会の後、黒田さんと同じ車で会食の席へ移動する時に、藤平氏は述懐した。「仏教と俳句だけに生きる今の生活は有り難い。新聞社で役員として合理化を進めていた頃は、眠れない夜が続いたものだ」と。派閥争いに悩むこともあったらしい。

・梅一輪修羅のむかしを思ひけり

98(平成10)年、妻のレイ子さんに先立たれた。寂庵を辞し、住み慣れた京都を離れ、大津市の終身利用型老人ホームに入居した。家財や蔵書を処分し、歳時記だけを携えての独り暮らし。今でいう「断捨離」である。その新しい住まいを黒田さんが「湖想庵」と名付けた。

部屋からは、朝は光まぶしい琵琶湖を、夕べには西日に包まれた母山の比叡山を望むことができ、まさに浄土であった。

・未練捨て身ぐるみ捨てよ冴返る

中国から伝わった声明を天台声明として定着させたのは、第3代座主の円仁らであった。この仏教音楽は、邦楽の発展にも影響を与えたとされている。藤平氏出家の戒師、天納傳中氏は昭和後期、天台声明の第一人者であった。その影響で、藤平氏も熱心に声明を学んだ。悠揚迫らぬ音律に心ひかれたのであろう。その天納氏は2002(平成14)年、惜しまれつつ遷化した。

・春蘭の下通夜作法修しまつる

マスコミの在り方やその幹部の言動が批判されることの多い昨今にあって、藤平氏の27年に及ぶ余生の過ごし方は注目される。4月中旬、享年92歳の訃報がひそやかに伝えられた。この人の晩年を温かく包んだ天台宗の“ふところ深さ”を思う。