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50年後の遠忌は 宗門の力を未来に生かせ

2015年4月3日付 中外日報(社説)

仏教各宗派本山等では50年ごとに開山や中興などの遠忌(諱)が行われる。総本山、大本山などの寺史などを見ると、昔から準備に何年もかけ、その機会に重要な伽藍の修理などが行われることもあったようだ。そこには「時代」も反映している。例えば廃仏毀釈の嵐が吹き荒れていた頃や先の大戦中は、財政的にも厳しかったはずだ。先人たちはどのような苦労を重ね、どのような思いで遠忌法要を営んだのだろうか。

今では、寺院への賦課金や檀信徒などの寄付で何十億円もの浄財を集め、建設事業や様々な教化活動が工夫されている。本紙でもそうした記事がしばしば掲載される。宗派にとっては昔に変わらず最重要の行事であり事業であって、宗門の力がそこに結集される。

しかし、その一方で、果たして50年後にはこのような遠忌ができるだろうか、という冷めた声も聞かれる。

社会の価値の多様化、寺離れという言葉に象徴される檀家制度の弱体化など、伝統仏教教団を取り巻く環境の変化はブレーキがかかるどころか、ますます加速されてゆきそうである。宗門の外だけではない。社会全体の変化の圧力は容赦なく宗門の中にもかかってきている。世間とは異なる不易の価値を共有しなければ成り立たない宗門内で、宗門内世代間の価値観の落差は極めて深刻だ。

かつて、近未来の伝統仏教教団の解体(と仏教自体の再生)をシミュレーションした『仏教崩壊』という小説が、一部で小さな話題となったことがある。こうした宗門内外の状況を突き詰めて悲観的に考えると、「崩壊」も全くあり得ない話ではないと思えてくる。

伝統仏教教団に体力があるうちに有効な手を打つべきだ、とする声は少なくない。具体的な方法も様々に論議されている。これに対し、どんな状況でも真理としての仏教は滅びないとの思いに支えられて、既存の宗門社会の構造を脅かす改革に抵抗感を示す動きが現れるのも不思議ではない。だが、既得権益の継続に固執する根拠のない発想は、社会的圧力の強制ではなく、やはり自らの意志で克服しなければならないだろう。

「50年後にこのような遠忌ができるか」という危機感は、もっと広く共有され、強く意識される必要がある。50年たって、あの時の遠忌が宗門の歩みを変えるきっかけとなり、未来への道を開いたと回顧されるのが理想だ。いま動員できる檀信徒や寺院の力をどのように生かしてゆくか、宗門の未来の可能性が試される。