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お仕着せに頼らぬ 市民の“文化力”に期待

2015年3月18日付 中外日報(社説)

先頃、大阪文学学校の第3代校長になった細見和之・大阪府立大教授(詩人)が、ある雑誌の最近号で、創立以来60年を超す同校の歩みを記していた。

同校は「文校」とも呼ばれ、小説や詩などを書くことを志す人々が集う民間の生涯学習センターのような存在である。1954(昭和29)年に詩人・小野十三郎氏を初代校長として発足した。2代目校長はやはり詩人の長谷川龍生氏が務め、昨年秋、細見氏にバトンタッチされた。

主に関西で文学活動をしている先達が講師となり、後進を指導する。受講者の中から、芥川賞の田辺聖子、玄月、直木賞の朝井まかて、H氏賞の井上俊夫、青木はるみの各氏ら、多くの文学賞の受賞者を輩出してきた。

現在は10代から90代までの500余人が学び、エッセーや自分史の創作にも努めている。これまでの延べ在籍者数は1万2千人を超えるという。

大阪は経済の都とか“食い倒れの街”などと呼ばれがちだが、民衆の学問の盛んな街でもある。医学系では幕末の「適塾」が有名だが、文系中心の学問では1724(享保9)年、鴻池又四郎ら船場の豪商5人が出資して創設した学問所「懐徳堂」がある。

学問好きの町人の子弟が入塾して朱子学や陽明学を学んだが、領域は儒学にとどまらず、塾生の中から「大乗非仏説」を唱える富永仲基が出た。大乗仏教の経典は釈尊の語録ではなく、後世の創作であるとの説である。

これに続いて、日本で初めて地動説を信奉する山片蟠桃が出た。富永、山片とも、先人の説を墨守することなく、大胆に新しい学問の境地を開いた。町人の塾だから果たせたといえる。

懐徳堂の精神は現在、大阪大の文科系学部に継承されていると伝えられるが、大阪文学学校の心意気も、懐徳堂に通じるものがあるのではないか。

さて、被爆70年の今、広島文学資料保全の会(土屋時子代表)が原爆文学の資料をユネスコの「世界記憶遺産」に登録しようと運動を進めている。「生ましめんかな」の詩人・栗原貞子▽「夏の花」の作家で詩人の原民喜▽「にんげんをかえせ」の詩人・峠三吉が残した創作ノートなどが、歳月とともに劣化が進んでいる。ユネスコの遺産指定で保存を図りたいと提唱しており、近く広島で展示会やシンポジウムを開く。

官製でなく、民間の運動だ。大阪に学びつつ、大阪を上回る市民の“文化力”を結集し、成果を挙げることを期待しよう。