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阪神・淡路大震災の教訓 人災的側面を語り継がねば

2015年1月16日付 中外日報(社説)

科学技術が発展すればするほど災害は複雑・大規模化し、いずれ社会全体が耐え切れなくなる。そんな漠とした不安が募る。時に荒々しい地球の営みに無頓着な人間界のルール違反が災害のたびに被害を拡大し、人災的色彩を濃くしていく。

20年前の阪神・淡路大震災は、その幕開けだったかもしれない。大災害で真に語り継ぐべきものは、災厄を広げる人災的側面ではないのだろうか。毎年「1・17」に思うのは、それである。

振り返れば震災直前に大地動乱=大災害の時代を予言した地震学者がいた。神戸ではもっと前、戦災直後の米軍撮影の航空写真で焼け野原の市街地直下に活断層が走っていることが分かっていた。だが、市は1980年代の地域防災計画で「活断層が多いから」と大地震への備えを主張する学界の抵抗を抑えて「震度5」想定で決着させた。神戸にそれ以上の地震はなかったという根拠の怪しい理由だった。足下の活断層が、やがては動くものだという想像力が抜け落ちていた。阪神間は16世紀末の伏見地震でも大被害を受けたことが、その後明らかにされている。

阪神・淡路大震災は成熟した大都市圏が初めて体験する直下型地震だったが、神戸では水道管の寸断で消火栓が使えないなど、もろさを見せつけた。そのことも含め大地に謙虚な町づくりを進めていたら被害はもっと少なかっただろう。大災害に「想定外」はないという教訓が生かされたなら、16年後に起こった東日本大震災の津波対策も変わっていたはずだ。

付言すれば、神戸市の想定震度「5」は、水道の耐震化など対策が困難な地震は「起こらない」ことにする役所的思考による。当時は仕方なかったという反論をよく耳にするが、問題は計画策定の経緯を多くの市民が知らなかったことにある。想定震度をめぐる論争がオープンにされていたら、違う結果に導いた可能性もあった。

東日本大震災でもそうだが、日本の官僚機構や大組織は「安全の文化が不徹底だった」などと組織の責任にし、結局責任関係をうやむやにすることにかけては水際立っている。神戸市の場合、防災計画策定に関わり「震度5」を黙認した学者が深い悔恨の情を表明しているのと対照をなしてきた。

この震災は「復興災害」という言葉が生まれたほど、被災者の生活再建の過程でも孤独死など数々の二次的不幸をもたらしてきた。過去に目をつむる社会は必ず同じ過ちを繰り返す。近未来に南海トラフ地震を控え、語り継ぐべき人災的要素が山積している。