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子らをとがめる前に 「寛容さ」こそ時代の要請

2014年11月26日付 中外日報(社説)

少し長い引用で恐縮だが、以下は大阪府のある市の社会福祉協議会会報の直近号に載ったコラムである。少子化に伴う家庭内での団らんの消滅、家族の孤立化などを憂えた後、次のように記す。

《その反動でもなかろうが、中高校生が深夜の公園でワイワイ騒いでいる光景をよく見る。人と交わらないから、他人の迷惑など感じられなくなっているのだろう▼翌朝、公園は空き缶やたばこの吸い殻、菓子袋などが散乱することになる。犬の散歩の道すがら、何かいい対策はないかと考えていると、いつも公園の掃除をしてくれている隣家のTさんが、ほうきと塵取りを手に登場▼「これは大変ですね」と無責任な慰めを言うと「若者が羽目を外すのはいつの時代も同じですよ」とおおらかな返事。黙々とほうきの手を動かしだした▼家族が小さくなった今も、地域の環境や安全はこういう人たちの手で支えられている》

これを読んでまず、わが凡夫の身ではとてもこの「隣人」のまねはできないと思った。子どもを甘やかし過ぎだ。親や学校はどうしている? 補導を強化すべきではないか――などと短絡思考に陥るのが関の山だろう。

だが、評論家然としていていいのかと不意に問われたような気分にさせられた。

コラムの筆者が普段目にする子どもたちの気掛かりな性行は、おそらくどこでも見掛けるものだ。全国的に後を絶たないいじめ、不登校や高校中退の多さなどともどこかに接点があるはずである。

しかし、考えてみると子どもの世界の問題は、経済効率最優先で人を使い捨てにする社会の病理の裏返しでもある。昨今のストレス社会は人をあざけったり、貶めたりすることを異常とも思わない世相を生んでいる。それは、よく言われるように低俗番組満載で視聴率を競い合うテレビとも無関係ではあるまい。少年非行の増加が懸念されているが、先日警察庁が発表したデータによると、少年の刑法犯(検挙人数)は最近10年間、毎年減少を続けているそうだ。

要するに問われているのは子どもたちの生態というより、むしろ社会を息苦しくさせている大人たちということではないか。だからコラムの主眼も、今の世に多少のことなら柔らかく包み込める「隣人」のように寛容な人材が欠かせないということなのだろう。

聖書の「地の塩」という言葉、仏教では「無尽燈」という維摩経の教えを連想させる。小さな光でも尽きることなく、ともし続けたい。とげとげしい世であればあるほどその感が深まる。