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客観的情報と自己認識 自覚され現実化する仏性

2014年11月14日付 中外日報(社説)

脳科学の発達が目覚ましい。最近の研究によると、客観的情報の処理――事象に関わるさまざまな情報を集めて検討し、必要な結論を出す操作――に当たる脳の部分と、自己認識や見当識をつかさどる脳の部分は違うという。一方が働いているときは他方は休んでいるということのようだ。これは大変面白い知見である。前者は科学・技術、政治・経済に関わり、後者は思想や宗教、つまり自己認識、むしろ自覚に関わるところが大だからである。そもそも近代文明は前者に偏して後者をおろそかにした結果、文化の在り方に大きな歪みをもたらしている。

一般に科学はすでに存在している事柄を発見・認識するものだ。重力は発見される前から存在してはたらいていたのである。他方「理性」ははるか昔から人間の中ではたらいていたのに人間はそれに気付かなかった、というものではない。人間が理性的に考え得ることに気付き(自覚)、それを実行し、さらに理性的思考が社会的に認知され教育に取り入れられることによって、初めて理性的思考は現実化するのである。だから理性を尊重する文化とそうではない文化とが現れるわけだ。自由や人権も同様である。

なかんずく重要なのがいわゆる仏性で、これはむろん客観的に観察・提示可能なモノではない。いつも存在してはたらいていたのだが、あるときそれが気付かれる、というものではない。仏性は「自覚」されて現実化するという、存在論的に大変扱い難いものである。他方、まったく無いものの存在が気付かれることもあり得ないから、理性や自由や仏性というような人間特有のはたらきは潜在能力として気付かれずに存在し――だから仏性は「仏になる可能性」などと語られる――「自覚」されて初めて現実化するものである。道元禅師が仏性の具足は悟りと同時的だと注意する所以である。

脳科学が客観的認識と自覚とでは脳のはたらく部分も機会も違うことを明らかにしたのは重要である。従来、例えば禅の脳科学的研究といえば、坐禅時には脳波にアルファ波が顕著になるというようなことだったのではないか。むしろ「悟った」人間の場合は脳のどの部分のはたらきが顕著になるか、これと大脳全体のはたらきとの関係はどうか、ということが研究されるべきだ。

それによって客観的情報の処理に専念して自覚面を抑圧しているときの脳のはたらきとは明らかに違うことが確認されるだろう。これは「悟り」の研究に新しい知見を与えるのではあるまいか。