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和紙が伝えた歴史 バチカンに貴重な文献

2014年11月12日付 中外日報(社説)

「フランシスコ・ザビエルの来日に始まるキリシタンの時代に、イエズス会士は同じ文面の報告書を3通作り、別々の船便に託しました。こうすればバチカンへ届く確率が高いからです」と話してくれたのは尾原悟神父である。尾原氏はイエズス会司祭で、上智大の教授として長年、日本からバチカンへ送られた「キリシタン文書」の研究に携わった。

外国人の立場で見聞した当時の日本の実情を知ることができるのは「キリシタン文書」による点が大きい。日本人が当たり前のこととして記録しなかった事象が、克明に記録されているからだ。中でも『フロイス日本史』や『日葡辞書』として集成されたものは、貴重な文献となっている。

1549(天文18)年のザビエルの鹿児島上陸から30年を経た79(天正7)年に来日した巡察使ヴァリニャーノらは、日本人司祭を養成するためのコレジヨ(大学)を府内(大分)に設立した。欧州人以外の“現地人”を司祭にしたのは、当時のカトリック教会では異例のことだ。宣教師たちが日本の文化水準を高く評価したことを示している。

だがこのコレジヨは、苦難の歴史をたどった。日本の権力者が織田信長から豊臣秀吉、徳川家康へと移るにつれて、キリシタン禁制が進み、コレジヨは山口、平戸、天草、長崎などを転々とした後、消滅する。

その間に宣教師たちは、コレジヨで用いる教科書として、自然科学、哲学、神学から成る『コンペンディウム』を編集した。ラテン語と日本語で記されたこの教科書も、次々にバチカンへ送られた。自然科学の中には、1543年に発表されたコペルニクスの地動説に理解を示すような内容も見受けられる。天測航法によって渡来した宣教師たちは、天動説では説明しきれない宇宙観を体得していたのかもしれない。

尾原神父らはバチカンの書庫でこれら「キリシタン文書」の解読に努めた。その間に気付かされたのは、日本の和紙に墨書された文書が、ほぼ完全な形で残っていたことだ。洋紙にインクで書かれた欧州の文書は、大部分が劣化していたというのに。

文化庁発表によると、ユネスコ(国連教育科学文化機関)では日本の和紙とその製紙技術を無形文化遺産に登録するよう、事前審査機関から「勧告」が行われたという。カトリックだけでなく、仏教の経典や文書、絵画など、和紙が日本文化の伝承に果たした役割は大きい。民族の知恵の一つ、和紙の功績を見直したい。