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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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安楽死の事例から いのちの尊厳をこそ

2014年11月7日付 中外日報(社説)

脳腫瘍で余命半年と宣告され、「安楽死」の選択を予告していた米国人女性が、医師による処方薬を服用して死亡したニュースが世界的に論議を呼んでいる。ただ、評価はどうあれ、これは事実としては要するに病気を苦にした自殺、自死である。協力した医師は自殺ほう助であり、それが犯罪に当たるかどうかは、立法の有無の問題だ。

オレゴン州では合法で、立法化されたスイスでは海外からも志願者が訪れていると報じられる。日本では免罪されない可能性が高い。末期患者に塩化カリウムを投与して死なせた東海大事件の判決が示した、安楽死違法性阻却の4要件は①耐え難い肉体的苦痛②不治の病で死期が迫る③苦痛除去の方法を尽くし他に手段がない④患者の明確な意思表明――だ。事件はこれに合致せず殺人罪になったが、米国の例も要件に完全には該当しない。

立法化とは別に、一般にこのような死を「尊厳死」や安楽死として許容するかどうかは複雑な問題だ。死期が迫ったときに経管栄養補給など延命措置を拒否したいと希望する人は少なくないだろうし、それは最大限尊重されるべきだ。だがそれは、ぎりぎりまで治療を望み、どんな姿になっても生を全うしたいという希望と等価であるはずだ。前者だけを「尊厳」などと崇高なものであるかのように声高に主張し、敷衍しようとするのは傲慢ではないか。

かつて国内の各宗教教団にこの問題の意識調査をした際には、「どんな死も、また生も等しく尊厳がある」「『尊厳』という価値観の押しつけは、人工呼吸器で生活する難病者や意識希薄の高齢者の死を早めようとする思想につながりかねない」との意見が目立った。「尊厳死」も安楽死も医療の関与程度の差でしかなく、一方的価値判断を排して「自然死」と呼ぶべきだとの主張もある。

大事なのは自分の納得する道を粛々と選択するということだが、宗教から見るとこの自己決定も論議の余地がある。「命は自分のものだから自由にしてよい」と言えるのか。少なくとも、「いのちは脈々とつながり、互いに関係し合っている」と多くの宗教が教える価値に無関心なまま決めてしまうのは悲しいと言えよう。

だが、重要な問題を決して忘れてはならない。何より大切なのは、米国の女性が自殺を選ぶまでに、その心身つまりいのちの苦痛にもっと寄り添うことはできなかったのか、ということだ。死の尊厳を言う前に、いのちの尊厳を守ることこそが大事ではないのか。今はただ彼女の冥福を祈りたい。