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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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キラキラしなくとも 僧侶は自分らしさを活かして

2014年10月31日付 中外日報(社説)

日蓮宗現代宗教研究所による宗勢調査報告書『人口減少時代の宗門』によれば、檀信徒が減った寺院数が、増えた寺院数を初めて上回ったことが明らかになった(本紙10月17日付)。

その境目になる檀家数は300戸であり、100戸以下になると檀信徒の減少が著しくなる。まさに負のスパイラル現象である。宗派の相違や都会か田舎かの違いはあるにしても、100~300戸といえば、住職が副業を持たずにやっていけるぎりぎりの檀家数である。

そこには、地方自体が過疎化するという構造的な問題もあるだろう。いずれにせよ、そうした寺院は住職が高齢化し、後継者もおらず寺を維持するのが精いっぱいだ。経済不安と人手不足を抱え、地域社会での活動にも取り組めない。まさに危機的な事態である。

しかし、危機の時代だからこそ、逆転の発想が必要だ。現状をいたずらに嘆くのではなく、まず知恵を働かせ、自らが手本を作り出すべきである。

例えば、檀信徒が少なければ、逆にそれだけ顔の見える関係をつくりやすい。高齢信徒ばかりだというなら、高齢信徒に特化した対応も思い切ってできるだろう。万が一、住職不在になっても、別の寺院の住職が兼務し、地域の人々でお寺を支え、共にコミュニティーを担っていくこともできる。なんといっても、お寺を守る人が常にいた方が、地域の人々にとっても安心なのだから。

そして第二には、今こそ慈悲心の発露だ。檀信徒や地域社会との関係における宗教者の心得も、これに尽きると思う。

そんな時、つい目が向いてしまうのが、キラキラ輝いている僧侶の姿かもしれない。しかし、彼らもまた人知れず尽力している。参考になるところは謙虚に学べばよい。カリスマ的宗教者として知られた、ある新宗教の教会長(故人)は、「宗教家がどこに行ったか(分からないくらいに)埋もれてしまって、肥になればよい」と講話の中で語った。つまり、自らは地に埋もれて肥となり、縁のある人々をこそ輝かせていくことが大切だというのである。

そのためにも、絶えず人々と触れ合い、彼らの内なる光(仏性)を繰り返し磨いていくことが必要だ。檀信徒や地域の人々が輝き、その中で自分がどこにいるのか他から見えなくなるくらいになれば、むしろそれが逆に宗教者の本分を全うした姿だとも考えられないだろうか。知恵と慈悲。この二つこそ、危機の時代の寺院を導く二大灯明でもある。