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「吉田調書」誤報 世論ねじ曲げる反作用

2014年10月8日付 中外日報(社説)

「朝日新聞」の虚報、誤報問題が尾を引いている。ねつ造や過ちは弁明の余地なく責められるべきだ。さらに重大なのは、「朝日たたき」によって世論を問題のある方向へ曲げようとする動きを結果として招いた責任だ。「従軍慰安婦」など存在しなかったかのような根拠もない言説、「国賊」などという戦前を思わせる言辞が、これまで暴言を批判されてきた人物などから鬼の首を取ったように出るのも見苦しいが、もう一方の「吉田調書」、東京電力福島第1原発の事故をめぐる当時の吉田昌郎所長(故人)の政府事故調の聴取記録に関わる問題は、事故被害が現在も進行中だけになお深刻だ。

朝日の誤報は、原発所員が「命令に違反して撤退した」とし、また吉田所長自身がそういう認識を持ったように報じた点。「違反」の前提として所員にこの「命令」が伝わっていたのかどうかを取材しなかった、実際には福島第2原発に「退避」したのを所長が事後に「正しい」と言ったことを報道しなかった、の二つが中心だ。

これに対して、「命を懸けて事故処理に当たっている所員たちに泥を塗るようなもの」といった論評が、とりわけ事故後もなお原発を推進しようというメディアなどから発せられた。確かに「逃げた」とは、ぬれぎぬそのものだ。

だが一方では、多くの国民の生命の危機を招きかねない事故に当たって、当事者たちが責任を持って最後まで対処するのも当然のこと。「英雄」などというようなものではない。もともと、事故が起きたら「命を懸け」なければならないような代物を、多くの批判や危険性を指摘するデータにもかかわらず、運転し続けてきた当事者の責任はどうなっているのか。

同調書をめぐってはさらに、「首相が介入してきた」とされ、「わめきちらし」(吉田調書)などの表現で、官邸がヒステリックに対応してきた、との批判が原発支持派のメディアから出た。死者の談話を使ってだ。しかし、所長自身が「イメージは東日本壊滅」と表現するような危機が差し迫る中で、ゆったりと優しい言葉を掛けるような情景は考えにくい。

他の東電関係者からの聴取記録も含め、「門外漢があれこれ言うな」と主張するなら、それは批判に耳を貸さず最悪の事態を招いた「原子力ムラ」の論理だ。安全と信じさせられ、事故でなお地獄の苦しみを味わい続ける被害者への視線は欠落している。3年半たった被災地で聞いた「原発再稼働やオリンピックなんて、被災地はもう忘れられようとしている」との宗教者の悲痛な叫びが耳に残る。