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広島の災害の教訓 昼間の訓練で十分か

2014年9月26日付 中外日報(社説)

広島市の旧制中学の後輩から便りが来た。「今回の土砂災害の犠牲者の1人のAさんは、私の同級生でした。よき友を失いました」。広島市役所の幹部で、安佐南区に住んでいたという。「私は地元ボランティアとして、救援物資輸送のお手伝いをしていたため、お知らせが遅くなりました」

悲しい報道により安佐北区、安佐南区という地名が全国に知られるようになった。この両区は戦前までは純農村地帯だった。そして藩政時代から、豪雨のたびに川の氾濫や山崩れを起こす歴史を繰り返してきた。近郷には、住民の避難を誘導していた本願寺派寺院の副住職が山津波に巻き込まれたという記録もある。

戦時中の1942(昭和17)年には安佐北区、翌年には安佐南区の一部で、今回同様の災害が起こった。当時中学生だった筆者たちはその都度、救援の奉仕作業に動員され、モッコで土砂を運んだ。被災した農家で、浄土真宗形式の金色の仏壇が泥にまみれているのが痛々しかった。

今回の被災地には県営住宅が建てられ、市幹部のAさんが住んだほどだから、もはや安全と考えられていたのか。しかし常識外れの集中豪雨は、花こう岩質の山肌を削り取った。

広島の土砂災害は、防災行政に多くの示唆をもたらした。区役所が職員を非常招集したが、人員が集まらない。道路が冠水して川のようになったため、乗った車が立ち往生したのだ。住民が指定避難所の小学校へ来たのに、門は閉まっている。夜間は先生がいないから、受け入れられない。民間の気象予報機関が豪雨予報のファクスを区役所にも送ったが、放置されていた。電話の応答に手いっぱいで、読む暇がない。

広島災害から約10日後、9月1日の「防災の日」には、各地で緊急時に備えての訓練が行われた。しかし「昼間の訓練だけでは十分でない」と反省する自治体もあったと聞く。「夜間はヘリが飛びにくいし、停電で市街地が真っ暗になることもある。それに対応した訓練を」というのだ。

さらには、住民に避難勧告や指示を出す「危機管理」を市長部局と消防局のどちらが担当するかも論題になった。広島市は政令指定都市になってから消防局担当となったが、今回の災害では119番への応答など、実務に忙殺されたとの報道もある。政令指定都市昇格以前には市長が消防局に出向き、総指揮を執っていた。筆者自身もそのころ、取材現場で何度もその様子を目にしてきたことを思い出す。