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気づかぬうちに進む 世相の変化と社会の異常

2014年9月24日付 中外日報(社説)

人は異常な環境に日々接していると、それを異常と思わなくなる心理を「シフティング・ベースライン・シンドローム」(基準推移症候群)と呼ぶそうだ。地球温暖化対策が進まない理由付けなどに使われる。よく聞く「ゆでガエル症候群」に似ている。カエルはいきなり熱湯に入れると驚いて飛び出すが、水から徐々に熱していくと逃げる機会を失いゆで上がる。つまりは少しずつ進む変化に人は鈍感にできているというわけだ。

その厄介な性癖を、唐突なようだがナチス・ドイツを事例に考えてみたい。以下はナチの狂気になぜドイツ国民が平気でいられたのかという疑問への、あるドイツ人言語学者の告白(要約)である。

「一つ一つの行為、事件は確かにその前の行為や事件より悪くなった。しかし、それはほんのちょっと悪くなっただけなのです。何か大きくショッキングな出来事が起これば、ほかの人々も自分と一緒に抵抗するはず。ところが街でも人々の集まりでも、みんな幸福そう。もし、ナチ全体の体制の最後で最悪の行為が一番初めの小さな行為のすぐあとに続いたなら、何百万という人が我慢ならぬほどショックを受けたに違いない」

政治学者の故丸山眞男の『現代における人間と政治』から引いた。告白はまだ続くが、次の言葉には考え込まされてしまう。

「気がつくと(以前と)精神はすっかり変わっている。いまや自分の住んでいる世界は憎悪と恐怖の世界だが、国民は自分で憎悪し恐怖していることさえ知らないのです。誰も彼もが変わっていく場合は誰も変わっていない」

周囲に適応しているうち、かつては違和感を覚えたはずの光景にも慣れ、気付いた時には自分は最初とは遠く離れた所に皆と一緒に立たされていたということか。丸山がこの論文を書いたのは1961年だが、それから半世紀余を経た日本で今、着々と進行している事態もこれではないのか。

昨今の世相のとげとげしさは週刊誌広告一つにも歴然だ。いわゆる「嫌中憎韓」をあおり「売国」などの言葉が普通に使われる。ネット空間にはネット右翼らのヘイトスピーチが飛び交う。広がる格差への不満をそらすため、軍事に傾斜する安倍政権が人々の排外的な気分を巧妙に利用している、という指摘もある。時代の危機なのだろうが、危機感が高まらない。

《全員が狂えば全部正常に》

毎日新聞『万能川柳』で先日、秀逸とされた作品である。作者の意図は定かではないが、そんな世への風刺と解釈しても許されよう。