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ハンセン病対策で露呈 問われる専門家の倫理感

2014年8月1日付 中外日報(社説)

太平洋戦争開戦前の1941年11月、大阪帝国大で開かれた第15回「日本らい学会(現日本ハンセン病学会)」総会で「小笠原登博士糾弾事件」があった。ハンセン病は「感染力が弱い」と強制隔離などに反対していた京都帝国大助教授で浄土真宗の僧籍を持つ同博士(70年没)を学会ぐるみで貶めた事件。患者が戦後も悲惨な療養所生活を強いられた要因の一つになった。専門家らの社会的責任という視点で考えた場合、極めて今日性を持つ出来事だったと気付く。

ハンセン病については先日、強制隔離や断種手術など非人間的扱いを受けた患者の人権回復のため生涯闘った元患者2人の訃報が続いた。全国13の国立療養所に暮らす元患者1840人のうち毎年約150人が高齢化で亡くなっており、出産を許されなかったため非道な差別の歴史を語り継ぐ当事者がやがていなくなる。深刻だ。

強制隔離は国策で始められ、戦時色が強まるにつれ「民族浄化」的様相を帯びて強行された。そんな中で本紙などに載った小笠原博士の隔離不要説を国策に順応して終身隔離に固執する学会員らが非難。総会では博士の発言を封じ、全国紙は「小笠原説敗れる」と書き立てて国策を後押しした。

「ハンセン病問題の本質は責任を感ずべき者が自覚せず、責任を取らず(略)」と博士の教え子で元厚生省医務局長の故大谷藤郎氏は語っていた(公衆衛生学会講演録)。外国では人道上、患者を隔離しない治療が行われ、1943年には特効薬ができて「治る病」になったのに、日本は逆に53年、隔離を強化する新たな「らい予防法」を制定した(96年廃止)。

こうした時代逆行の特異な国策が2001年に裁判で断罪されたが、自由を奪われ、一家離散など言葉に尽くせぬ患者の苦しみに、加害側の専門家らの誠実な謝罪の言葉を今も聞かないのである。

ハンセン病対策は人権感覚で戦前・戦後の断絶がなく、連続性を保っていたわけだが、その病理の裾野はもっと広く、奥深い。

1956年、カトリックローマ会議でハンセン病患者の隔離政策を否定する決議がなされた。日本ではこの年、水俣病の患者が初めて公式に確認されたが、以来、半世紀以上もたつのに水俣病問題は解決しない。理由の一つは、原因究明や患者認定などで国や企業側の利益を気遣う専門家の介在だった。他にも事例は多々ある。原発事故では放射線被害の認定に同様の構図がいずれ顕在化してきそうだ。政策に関わる専門家らの倫理確立を強く迫らねばならぬ。