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STAP問題に思う 競争主義に潜む権威主義

2014年7月16日付 中外日報(社説)

STAP細胞をめぐる状況は、研究における問題点が次々と指摘され、雲行きが怪しくなる一方である。先日も、遺伝子解析の結果、実はES細胞なのではないかという疑惑が提出された。明らかな研究不正があったという指摘さえなされてもいる。

どうして、このような事態になってしまったのだろうか。研究者自身の問題が大きいのは言うまでもない。だが、背後に熾烈な競争主義の存在があるのは確かだ。研究費も数年の単位で与えられ、その期間内で一定の成果を挙げなくてはならない。何も成果を出せなかったり、他の研究者に先を越されてしまうと、次の研究費をもらえなかったりするだけでない。任期付きの研究者の場合だと、雇用契約すら打ち切られかねない。

科学者もまた生身の人間である。不安定な研究生活の中で一種の焦りが生まれ、そこに研究上の疑惑を生み出すような誘惑が忍びよってこないとも限らない。たとえ不正が行われなくとも、最先端ではお互いにしのぎを削るような競争が繰り広げられているのが科学研究の世界である。タッチの差で成果を先取りされてしまうと、それまでの研究が水の泡になってしまう。

以前、山中伸弥教授がiPS細胞樹立に成功してノーベル賞を受賞したために、同じような再生医学に取り組んできた研究者が1年間、研究が手に付かなくなったという話を、あるシンポジウムの場で聞いたこともある。

かつて、小泉純一郎首相(当時)が科学技術基本計画で、「今後50年で30人のノーベル賞受賞者を輩出する」という国家目標を打ち出したことがあった。だが、ノーベル賞はあくまで研究結果に付随して与えられる一つの栄誉だ。最初から国家目標に置くようなやり方は本末転倒というしかない。

公刊される科学論文数は毎年、増加の一途をたどっている。現在では優に数十万本にも上るだろう。考えてみれば、20世紀以降、時代を追うにつれて科学があらゆる分野で飛躍的に発展し、そのそれぞれの分野で人類に多大な貢献を行っている。ノーベル賞も各分野で1年に1~数人ではなく、思い切って数十人に授与してもいいくらいではなかろうか。

毎年少数しか授賞させないものだから、ノーベル賞の権威が尋常ならざるレベルにまで膨張し、本来は研究対象に落ち着いて向かい合わなければならない科学者の姿勢もおかしくさせてしまうようにも思われる。競争主義の背景には、こんな形で権威主義が潜んでいるのではないだろうか。