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修学旅行生の暴言 “心の教育”見直そう

2014年6月27日付 中外日報(社説)

1983(昭和58)年の初夏、大阪・A高校の2年生が広島へ修学旅行をして、被爆者のPさんたち「ヒロシマを語る会」の人々から体験談を聞いた。A高校はいわゆる“荒れた学校”で、男女とも茶髪やマニキュアの生徒の姿が目立った。

Pさんたちが宿舎の旅館に行くと、生徒は和室に寝転んでいた。だが話が進むにつれて、どの部屋の生徒も身を起こして居住まいを正し、涙を流しながらPさんたちの話に聞き入った。

被爆体験の生々しさや、その苦難をどう克服したかの説明に衝撃を受けたのは当然として、生徒たちにはもう一つの感動があった。それはPさんたちが、生徒を独立した人格の持ち主として、対等の目線で話したことだ。

それまでは、偏差値の低い高校の落ちこぼれ生徒と見られがちだった。しかし広島の被爆者はそんな差別をせず、平和を願う同志として話し掛けた。いわば蓮如上人の平座の姿勢である。

生徒たちは大阪へ帰ってから、アルバイトで資金を積み立て、翌年の夏、広島を再訪問した。昼は原爆ドームや市内の慰霊碑を巡礼し、夜は被爆者との交流会を開いた。これが平和学習の広がる一つの契機となった。

さて、先日の各紙に、関東のB中学校3年生の、長崎への修学旅行が報じられた。案内役で「長崎の証言の会」所属の被爆者Qさんたちに、一部の生徒が「死に損ない」との暴言を浴びせたというのだ。真面目に聞こうとしない生徒を叱ったことが反発を呼んだのかもしれないともいう。

この記事が掲載された日、広島では、同じ県のC中学校の2年生が被爆者Rさんたちの体験談を聞いた。最初は一部に行儀の悪い生徒もいたが、途中から全員が真剣に耳を傾けた。31年前のA高校と同じ経過である。

これまで修学旅行生に約200回話したというRさんは、こう語っている。「広島を訪れる学校は事前の学習をきっちり行っているようですが、私たちの話を聞くと、新たなショックを受けるのでしょう。きょうのC中学校も、同行の先生方ともどもハンカチで目を押さえていました。私も、つらい話をよく聞いてくれたね、とお礼を言いました」

同じ県の同じ公立中学校で、なぜこんな差があるのか。平素から社会のマナーを学び、他者を思いやる“心の教育”が大切ということではないだろうか。話す側も、対機説法的な配慮が望ましい。暴言を浴びせた一部の生徒を叱って済むことではあるまい。