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車いす技術者回想 院卒の人材に機会を

2014年6月13日付 中外日報(社説)

東京オリンピック直後の1960年代後半、大阪の化学工業会社に、岡山大大学院を修了した向日善信さんという技術者が採用された。だが静岡県の工場で研修中に事故に遭い、下半身に重傷、車いすの身になった。

プロテスタントの信仰を支えに逆境克服の決意を固め、会社もその意志を尊重してITの知識を生かせるよう配慮し、10年後には管理職に昇進した。

当時はまだ、車いすの障害者が外出する機会は少なかった。向日さんは牧師に付き添われ、新幹線の旅行を重ねたばかりか、空路渡米して教会を歴訪した。米国のホテルには車いす専用の客室が常備されていること、米国内線の旅客機では車いすの客が搭乗すると機長がその席を訪れて歓迎のあいさつをすることを知った。向日さんは職場や旅先での車いす生活の体験を書きつづり、1981(昭和56)年に著書『チャンスに挑む』を出版した。車いすの人々が社会活動する道を開いた先駆者の一人となった。

向日さんは、大学院修了後に就職した理由として、こう語っていた。(当時の)理科系の就職には学部卒の知識では不十分で、大学院卒の学識が要求された、と。業界では国際的な競争が激化、新卒採用では広い学識の持ち主を求める傾向にあったらしい。

そのころ、パソコンはまだ珍しい時代だった。向日さんは生産の現場での活躍はできなかったが、パソコンを駆使、大阪にいながら世界の最新情報にアクセスし、会社に貢献した。

大学院があるかどうかが、当時の大学のランク付けの物差しだった。各大学が研究体制の充実に努めた結果、今では大学院のない大学の方が珍しくなった。そのため、大学院に学んで博士号を取得しても、それを生かせるポストは増えず、かえって就職が困難になるという“オーバードクター”問題が深刻化している。

最近はSTAP細胞論文をめぐる論議に絡み、日の当たらぬ場所にいる院卒者が、功を焦って論文発表に駆り立てられる現実が指摘された。他人の発表した論文を安易に切り張りして、新しい論文の体裁に仕立てる“コピペ”現象は、ベテラン研究者の一部にも見られるという。科学大国を目指す日本として、由々しい問題だ。真理の前で、科学者としての敬虔さを忘れてはなるまい。

また大学院に学んでも、向日さんのように『チャンスに挑む』ことができなければ、日本の科学は衰退する。全ての院卒の人材にチャンスを……。