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碑銘のなかの美辞麗句 墓中におもねる文人たち

2014年6月11日付 中外日報(社説)

2世紀後漢時代の文人の蔡邕は数々の碑文を書き残していることで有名だが、ある時、次のように述懐した。「吾は碑銘を為ること多きも、皆な徳に慚ずる有り。唯だ郭有道のみ愧ずる色無きのみ(僕は多くの碑銘を制作したが、いつも慚愧の念に堪えなかった。ただ郭有道の碑銘だけはそのようなことはまったくない)」

郭有道とは建寧2(169)年に亡くなった郭泰。その葬儀には全国各地から千人を超す会葬者が駆け付けたほどの名士であり、同志たちが石碑を建てるに当たって蔡邕がその碑文を制作することとなったのである。

蔡邕の「郭有道碑」(『文選』巻58)の結びの銘文には、「於休たき先生、明徳にして玄に通ず。純懿淑霊、之を天自り受く。崇壮幽浚なること、山の如く淵の如し。礼楽をば是れ悦び、詩書に是れ敦し(ああ、めでたき郭有道先生、徳は明らかにして奥深い真理に通じられた。純粋な美しさとこよなき心は、天の授かりもの。壮大で深遠なること、山や淵のようだ。礼楽に心をなごませ、『詩経』『書経』に親しまれた)」云々とつづられている。

郭泰の碑銘にこのように記したのは嘘偽りがない、だがその他の碑銘に関しては心の痛みを感じずには済まされぬと蔡邕が告白しているのは、潤筆料を稼ぐためにありもせぬ美辞麗句を書き連ねる場合が往々にしてあったからにほかならない。明末清初の顧炎武の「作文潤筆」(『日知録』巻19)と題した一文に言う。

――蔡邕の文集には当時の貴人の碑や誄(追悼文)の作品がとても多い。胡広と陳寔の碑文はそれぞれ3篇、橋玄と楊賜、胡碩の碑文はそれぞれ2篇を数える。それだけではない。袁満来は15歳、胡根は7歳で亡くなっているにもかかわらず、いずれも碑文を制作している有り様だ。潤筆料が目当てでなければ、ここまでやることはあるまい。史伝は蔡邕が著名人なので隠して言わないだけだ。文人が賕を受け取るのは、韓愈の諛墓の金だけではないのである――。

韓愈は中唐を代表する文人。「諛墓の金」は劉叉なる人物にまつわる話である。劉叉はごろつき同然の男だったが、文才があり、韓愈に弟子入りをする。ところがある時、次のようにうそぶき、韓愈の金数斤を持ち逃げして姿をくらませてしまった。「この金は、先生が墓中の人間に諛って手にしたものだ。俺さまの長寿のご祝儀とするのに越したことはあるまいぜ」

韓愈のもとには碑文制作の依頼が相次いでいたのである。