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大飯運転差し止め判決 原発の是非は倫理問題

2014年6月6日付 中外日報(社説)

政府は原発の継続を唱えているが、世論は脱原発に傾いている。3月中旬に行われた朝日新聞の世論調査でも、原発の再稼働に反対すると答えた人が59%で、賛成の28%を大きく超えている。その理由は何か。

原発が安全でないこと、原発のコストが実際にはかなり高いこと、早く再生エネルギーに転換するのが有利だという判断などが関わっているだろう。だが、それらを超えて、原発への依存がいのちを犠牲にし、人の生き方、社会の在り方を善いものにしていかないという判断があるからだろう。それは倫理的と言っていい要素だ。

ドイツでは2011年5月に「安全なエネルギー供給に関する倫理委員会」が報告書「ドイツのエネルギー転換――未来のための共同事業」を提出し、国として早期の脱原発を目指すことが決められた。このように原発の是非が倫理の問題に関わるという認識は世界的に共有されるようになってきている。

確かに経済的効率の問題から考えることも大切だ。だが、それ以上に重要な問題がある。経済が重んじられてもいのちが軽んじられては仕方がない。大切な価値はお金でありお金で買い取ることができるような幸福を求めるのか、それともいのちを脅かされず他者や自然と心の通う共同生活の在り方を求めるのか。このような価値の選択が問われているという認識だ。この認識が世界的に共有されるようになってきた。

5月21日に示された「大飯原発3、4号機運転差止訴訟」の判決も、こうした世界的な機運を反映した内容になっている。そこでは原発による安全性の確保が、全ての法分野で最高の価値を持つとされる「人格権」に関わるものであるとされている。そしてその「人格権」は憲法第13条、第25条に示されたものとしている。

第13条には「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」、第25条には「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とある。これらを縮約すれば、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」であり「いのちが尊ばれる権利」と言うこともできるだろう。これを「最高の価値」と位置付けているところにこの判決の特徴がある。

注目すべきはこの論理を支える倫理的な構えである。その内容が何かを詳しく示すのは、むしろ宗教や哲学の役割となるだろう。