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司法裁判決に思う 捕鯨が機縁、日米交流

2014年4月23日付 中外日報(社説)

あまり広く知られていないが、1991(平成3)年以来、民間の有志によって「日米草の根交流サミット」が開かれている。多い年で3千人、少ない年で700人が両国を相互訪問し、ホームステイを中心に約1週間、両国民親善の歴史を語り合う。第24回の今年は9月下旬、米国のサンディエゴで開催される。

この催しのきっかけは……。173年前の1841(天保12)年に、遭難して無人島に漂着していた土佐(高知県)の漁民、ジョン万次郎ら5人を、米国の捕鯨船ハウランド号のW・H・ホイットフィールド船長が救助したことを記憶にとどめるためだ。

ホ船長は、14歳だった万次郎の利発さに注目、マサチューセッツ州フェアヘーブンの自宅に連れ帰り、学校に通わせる。万次郎は学問の大切さを学ぶとともに、米国の社会を動かす民主主義の長所を体得した。

ホ船長は万次郎と共に、礼拝に行った。どの教会も、有色人種の万次郎の着席を認めない。するとホ船長は、人種差別のないユニテリアン教会に改宗した。寺檀関係を変えるようなものだ。

父と子と聖霊の「三位一体」を崇める一般のキリスト教会と、ヤハウェの神のみを信奉するユニテリアン教会とでは、大きな差がある。ホ船長の万次郎に対する愛情の深さがしのばれる。

万次郎は、ホ船長の志を継いで別の捕鯨船に乗り組み、副船長を務めた。遭難から10年後の51(嘉永4)年には、琉球(沖縄県)に上陸、帰国する。幕末の日本は開港を求めて来航する欧米各国の「黒船」にどう対応するかで揺れに揺れていた。

万次郎はまず土佐藩、次いで幕府の重役に、米国での見聞内容を伝え、開国の必要性を説いた。また幕府の遣米使節の乗る咸臨丸に同行、通訳を務めた。

万次郎の時代、米国の太平洋捕鯨は乱獲のため、終末期を迎えていた。米国の経済事情がもっと早く進行していたら、ホ船長と万次郎の出会いはなかったかもしれない。幕末の歴史の一部も変わったのではないか。「日米草の根交流サミット」は捕鯨を機縁として結ばれた両国民の親善関係を象徴するものだ。

先日の国際司法裁判所判決は、日本の南極海での調査捕鯨の中止を命じるものだった。日本だけが悪者にされたようだが、人類は世界の各地で、乱獲によって鯨を追い詰める歴史を繰り返してきた。浦ごとに鯨塚や鯨神社を建てた日本漁民の心は、判決に反映されなかったのだろうか。