ニュース画像
多くの人が見守る中、彰義隊墓所で盛大に営まれた150回忌法要
主な連載 過去の連載 エンディングへの備え
苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
購読のお申し込み
新規購読キャンペーン
紙面保存版

現場で教えを確認 アウェーこそホームだ

2014年4月4日付 中外日報(社説)

東日本大震災の復興期における宗教者の支援の姿勢をめぐる論議が各方面で盛んだ。大阪の寺院では、震災を機に発足した東北大の「臨床宗教師」講座の多くの履修者たちが研修成果をさまざまな現場で生かして活躍しているのを踏まえ、「公共の場」での宗教者によるケアについて、同講座講師も招いて話し合われた。

臨床宗教師とは、例えば被災者らに寄り添う「日本版チャプレン」。自らの宗教を押し付けてはいけないが、相談者が自分の心の中に「答え」を見つける手助けをするスピリチュアルケアや、求めに応じて読経や法話などの宗教的ケアをする宗教者だ。被災地の仮設住宅などで重要な働きをしているが、論議は、それに取り組む個々の宗教者側の在り方をめぐって活発化した。

「布教は駄目」というが、例えば「亡くなった方は浄土にいます」と話しても布教になるのか。そもそも個別ではない「宗教一般」などはあり得ないわけで、政教分離といった事情から「公共にとらわれるあまり自らの信仰、教義に基づく宗教的アイデンティティーが揺らぐならば問題だ」といった意見はもっともだ。

講師側からは、特定の宗教を出してはいけないのではなく、相手が求めるなどの「出す」タイミング、相手との関係性構築というスタンスが大事だとの指摘があった。「死んだ人はどこへ行ったのか」という被災者の問いは、教義への質問ではない。その問いの背景にある相談者の心境に対応すべきだとの提起も重要だろう。

教学研究者でもありながら各地でいろんな活動をする僧侶が、「現場でこそ教えが立ち上がり、リアルに理解できた。教義が上書き、再解釈された」と語ったのが一つの鍵だろう。

「臨床宗教」とは、檀家相手ではなく、寺の門から外へ出て生きた人々を相手にすること。「ホームではなくアウェーで何ができるかだ」との表現があったが、実はホームはアウェーにある、アウェーこそ宗教者のホームではないのか。

被災地に寄り添った宗教者たちは、普段から貧困や自死問題の現場に立ち向かってきた。この、生きることが辛い社会、人々を困窮させる課題が山積した国で、それぞれの宗教者たちがいるところ、「そこが被災地」なのだ。つまり、宗教とは本来的に「臨床」であったはずではないか。

「研修を受けてから、檀家さんともしっかり向き合えるようになった」という履修者の気付きの声が頼もしい。