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人生の地平線見よと入学式で諭した学長

2014年3月29日付 中外日報(社説)

「総合大学の学長は、意外に寂しいものですね」。1950年代の初め、初代の広島大学長、森戸辰男氏の秘書だったN氏に聞かされた言葉である。

原爆直後の広島に、国立の総合大学・広島大が開学した。広島文理大をはじめ九つの旧制大学・高専が結集、二つの新設学部も加えた大きな組織だ。まとめ役の学長は、広島県出身者で文部大臣(当時)経験者の森戸氏しかいないとされていた。

森戸氏は16年、東京大助教授となり、ロシア人学者クロポトキンの論文「パンと奪取」を翻訳紹介したことで右翼学者から攻撃され、4年後に職を失った。いわゆる「森戸事件」の当事者である。戦後、社会党(当時)の衆議院議員となり、片山・芦田両内閣の文相を務めた。

開学翌年の50年に着任した森戸氏は、学内に世界の木を植え、新設の政経学部(現在は法学部と経済学部)に国立大学で初の夜間部を設けるなど、成果を挙げた。しかし着任前に期待していた「若い学生と語り合う」機会は極めて少なかった。

N元秘書の打ち明け話である。「学長は、学部長や学科長を飛び越して学生と接触することができない。森戸さんは自分の体験に照らして、学問の自由の大切さを語りたい。でも組織上、その機会が得られなかった」

結局、森戸氏が学生に話し掛けることができたのは、春の卒業式と、それに続く入学式での学長式辞だけである。

その席でまず森戸学長が説いたのは、自らの座右の銘である儒教の言葉で、例えば孟子の「憂うるに天下をもってす」だった。孟子は諸侯から、君主としての心構えを問われると「喜びも悲しみも天下(領民)と共にすることです。特に憂いや悲しみを共にする心掛けが必要です」と説いた。

広島大に学ぶ者は、個人的な視点に惑わされず、社会全体を見渡す目を養ってほしい、との願いだった。しかし戦後の高校では漢文教育の比重が小さくなっており、森戸氏の真意を理解することのできる学生は少ない。

そこで森戸氏は、語り口を変えた。「諸君はこの大学で"人生の地平線"を見渡す力を養ってほしい。社会人になってその目が曇ったら、大学での生活を思い出していただきたい」

森戸氏の鮮やかな対機説法は、63年の退任まで続いた。入学式の季節。各地の大学では、人生の地平線を見極めるための教育が始まろうとしている。