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生き残った負い目は70回忌の年にもなお

2014年3月20日付 中外日報(社説)

「炎に追はれ友振り切りて逃げし橋 生きさらばひて今わたり行く」。旧制広島県立女子専門学校(現・広島県立大)在学中に被爆した研井悦子さんの短歌である。「生きさらばひて」は「生き恥をさらして」の意味という。

もだえ苦しむ友を残して火の海を逃れた後ろめたさ。あの日の広島で生き永らえた人の多くが抱く罪の意識にも似た心情だ。「この『生きさらばひて』が戦後生まれの人に理解してもらえません」と研井さんは訴える。

軍の命令で、市街地の建物撤去作業に、中学校や女学校の1、2年生らが動員されていた。原爆はその真上で爆発した。作業に参加していた者は命を奪われ、体調不良のため休んだ者は助かった。不条理の極みである。

各学校では毎年、死没した職員や生徒の慰霊祭を営む。その席で死没生徒の親たちは、生き残りの同級生を、ある種の感情のこもった目で見つめた。同級生は、生き残った後ろめたさで、視線を合わせることができない。

いわば"ヒロシマの煩悩"ともいうべき雰囲気だ。しかも、一時はそうした雰囲気のあることを語るのがはばかられた。それは"ヒロシマのタブー"だった。

両者が話し合えるようになるまでには、ある学校の場合は1994年、五十回忌を迎えるまでの歳月が必要だった。この年の慰霊祭で90代の父親は、生き残った同級生の列に歩み寄り「亡くなった子の分まで長生きして、幸せになってください」と語り掛けた。

この実情を伝え聞いた首都圏の女性の学者が、私的な場で感想を漏らした。「広島の被害者が、互いにそんな感情を抱くなんて理解できません。原爆を落としたアメリカに怒りを向ければよいではありませんか」と。この学者は、戦後生まれである。

毎年の平和祈念式典で、核兵器なき世界の実現を訴え続けるのが広島、長崎両市民の表の顔であるが、内面では生き残った後ろめたさを抱き続けるのも人間としての素朴な心情であろう。

その素朴な心情を"煩悩"と見なすことには批判があるかもしれない。だが、被爆者の心が単純に割り切れないことも事実である。原爆で家族のほとんど全員を失った80代の被爆者が、仏教でいう七十回忌の年を迎えて語った。「本当は8月6日に、広島の街を歩くのがつらい。仏壇の前でひそやかに家族を追悼したいのが、正直な思いです」。心に深い傷を宿す人を教化する宗教者の果たすべき役割の重さを感じさせられる。