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ビットコイン問題で知った信用の大切さ

2014年3月11日付 中外日報(社説)

ビットコイン大手取引サイトのマウント・ゴックスが経営破綻した。何者かの不正アクセスによって、同社が保管するビットコインと顧客の預金合わせて約500億円が消失し、事業運営が不可能になったからだという。コンピューター上でこれほど多額のお金が失われてしまうのは、不可解で謎も大きく、考えてみれば恐ろしい話だ。ビットコインそのものへの信用不安も起きている。

ビットコインは仮想空間の中で流通するデジタル通貨である。中央銀行のような特定の発行者も管理者もいない。しかし、それを買うためには現実の通貨である円やドルなどの信用貨幣が必要である。これらの裏付けがなければ、仮想通貨はたちまち架空通貨、詐称通貨になってしまうだろう。

その価値が何らかの信用の存在に依拠するのが信用貨幣である。通貨にしてからが、これを発行する国家(政府)の信用があって初めて成立するものである。紙幣の紙自体には価値がないが、国家がその額面を保証することにより、初めて1万円札は1万円としての価値を持つ。通貨の信用もひとえに国家の信用にかかっているのである。それも紛争や戦争のために国家が信用を無くしてしまえば、信用通貨としての価値も失われ、紙幣の束も紙くず同然となる。

ここから分かるのは、経済も政治もいかに信用で成り立っているかということだ。これらの推移や変動のあり様を目の当たりにすれば、世の中が信用によって存立し、動いていることが分かると思う。国家でさえそうなのだから、他の集団や個人も同様である。

信用を落とすことはたやすいが、信用を勝ち取ることは難しい。今回の破綻劇で図らずも明らかになったのは、人間社会における信用の大切さであった。

信用は信頼でもあると同時に、信仰にも通底するところがある。宗教とはそもそも、目に見えない超越的存在への信仰である。宗教者にとっては、超越的存在は絶対的に価値ありとして確信されているが、そうでない人々にとっては、不確かといえばこれほど不確かなものはないともいえる。

だからこそ、もし宗教の信用性・信頼性を担保する存在があるとすれば、それはまさしく宗教者なのである。宗教者が人々から信用され信頼されてこそ、その宗教者が信仰する宗教もまた、信じるに値するものだと受け取られる。

このことに宗教者自身がもっと気が付いて、自らの社会的信用にいっそう自覚的になることが求められるだろう。