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信仰と一線画した陳国符氏の道教学

2014年2月25日付 中外日報(社説)

中国から届いた『世界宗教研究』の最新号(2013年第6期)に蓋建民、楊子路両氏の「陳国符先生学術年譜」が掲載されている。陳国符氏(1914~2000)は前世紀を代表する傑出した道教学者であって、陳氏の主著の『道蔵源流考』『道蔵源流続考』等が扱う対象は極めて多岐に及び、道教研究者ならば誰しもが参照する書物である。

陳氏はそもそも化学の研究者であり、浙江大化工系を卒業後、ドイツのダルムシュタット大に留学。だが第2次世界大戦の戦火が広がると、1942年、28歳の陳氏は留学を打ち切り、雲南省の昆明に帰り着いた。

かねて化学と共に道教に対して並々ならぬ関心を有していた陳氏は、昆明において道教の大蔵経である道蔵の閲読を精力的に開始し、『道蔵源流考』の初稿が書き上げられる。当時、昆明には日中戦争の難を避けた北京大、清華大、南開大の3大学協同の西南聯合大が存在し、著名な学者が多数集まっていたのだが、その地で陳氏は言語学者として高名をはせる羅常培の注目を得る。その後、49年、『道蔵源流考』が初めて印行されるに当たって序を寄せた羅常培は、資料を博捜して根源を究める陳氏の研究を「源を究め本を探り、括挙して遺す無く」「其の功力の勤、蒐討の富、実に此れに前んじて未だ賭ざる所なり」と絶賛している。

陳氏の学問の基本姿勢がどのようなものであったのか。そのことをよく伝えるのは「年譜」の63年12月の記事である。

――『道教源流考』増訂版、中華書局から出版。出版に先立って傅彬然先生(中華書局編集哲学組長)が原稿を中国道教協会の陳攖寧会長に送って査閲を求めたところ、陳攖寧会長は道教にとって都合の悪い事柄を削るように希望した。先生はこう表明した。「自分が書物を著すのは道士とは立場を異にし、学者として道教を研究するのであって、目的はその科学的な是非を求めることであり、信仰を論証するためではない。だから意見は受け入れられない」。傅彬然先生も賛同し、本書は先生の考えのままに出版された――。

解放後、天津大に籍を置くこととなった陳氏のもとには、文革中にも、72年に長野県蓼科において開催された「第二回道教研究国際会議」をその一つとして、海外からの招請が相次いだが、いずれにも出席することはかなわなかった。当時、陳氏には「ブルジョワ階級の反動学術権威」とのレッテルが貼られていたからである。