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宗教者にとってのホームとアウェー

2014年2月6日付 中外日報(社説)

サッカーなどの国際試合のニュースを通じ、ホームとアウェーという言葉をよく聞くようになった。ホームとは自国の、アウェーとは相手方の陣地・グラウンドのことである。そこからの転用で、ホームとは自分のもともとの守備範囲やそこでの活動領域、アウェーとはその領域からあえて出たところの攻撃範囲やそこでの活動領域を指すようになっている。この言葉が、宗教者の在り方や活動を理解するための一つの切り口として使われることがある。

宗教者にとってのホームとは、寺院や教会など自らがそこに属する宗教施設や、そこでの宗教活動であろう。アウェーとは、そうした場から文字通り離れた(アウェー)領域や現場で、各種福祉活動や災害支援などの社会活動をすることをいう。用語は斬新だが問題設定としては従来から存在する。近年、宗教者の社会貢献がとみに強調され、ホームにとどまるのではなく、アウェーにどんどん踏み出していくべきだといわれる。

ただ、アウェーに出やすい宗教者とそうでない宗教者がいることにも、留意すべきであろう。寺院の副住職や教会所属の一教師という立場であれば、住職や教会長がホームをしっかり守ってくれているので、アウェーもしやすい。しかし、人手の足りない寺院や教会では、住職や教会長はホームを守るのが精いっぱいである。その一方で、ホームもアウェーもできるカリスマ僧侶やスーパー教会長がいるのも事実だ。このように、宗教者の置かれた状況は種々さまざま、その個性や資質もいろいろであって、宗教者はすべからくアウェーに打って出るべきだと一概に言うことはできない。

さらに言えば、特定のホームの無いフリーランサーの僧侶や教師も存在する。彼らは、アウェーとされる領域を自らのホームとして、自らの思うところの活動を自らの流儀で行うことができる。あるいはまた、ホームを守るのが精いっぱいという場合であっても、寺院や教会を地域の会合の場に提供したり、傾聴や悩み相談など人々との新たな関わりを持つことで、アウェーの領域をホームへと持ち込むこともできる。このようにして、檀家や信者が少なくなって形骸化したホームを再活性化させることが可能になるのである。

してみると、ホームとアウェーとは相互に乗り入れ可能な流動的構造になっていることが分かる。この見地をヒントにすることで、宗教者が自らの活動や在り方をよりダイナミックに考えていくことも可能だろう。