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唐王室の始祖として祭り上げられた老子

2014年1月21日付 中外日報(社説)

中国の唐代のこと、唐王室の姓は李であり、老子の姓も李であるところから、老子は唐王室の始祖として尊崇された。例えば温大雅撰の『大唐創業起居注』に次のような記事が見いだされる。『大唐創業起居注』は唐王朝の初代皇帝となる李淵が太原(山西省太原)において隋王朝打倒の兵を挙げ、長安(陝西省西安)に向けて進軍して即位するまでの357日間の克明な記録である。

李淵の挙兵直前のこと、太原にやって来た突厥の使者の康鞘利は、興国玄壇を宿舎としてあてがわれると、真っ先に老君像に拝礼した。それを目にした道士の賈昂は「突厥の使者は唐公李淵どのに会いにやって来ながら、最初に老君に拝謁したのは尊卑の順序を取り違えないものと言うべきだ。天から遣わされたのでない限り、こやつらが礼をわきまえているはずがあるまい」と言った。

すでに唐代に先立ち、老子は古代の哲人として敬われるだけでなく、道教の神々の中心に位置する太上老君として崇められ、道教の神社である興国玄壇には太上老君の尊像が祀られていたのである。

賈昂の言葉の原文は、「突厥来詣唐公、而先謁老君、可謂不失尊卑之次、非天所遣、此輩寧知礼乎(突厥来りて唐公に詣り、而して先ず老君に謁せしは尊卑の次を失せずと謂うべし。天の遣わす所に非ずんば、此の輩寧ぞ礼を知らんや)」。ところが何としたことか、「可謂不失尊卑之次」の「不」の一字を無視し、「唐公をさしおいて老君に謁するのは尊卑の次を失った、礼儀を知らない輩だ」と解釈する論文に一再ならずお目にかかる。かかる解釈はまったくの誤りである。そうではなく、異民族の突厥の使者ですら太上老君が始祖、李淵がその子孫であるという尊卑の順序をわきまえているというのであって、『大唐創業起居注』の記事は、唐王室がつとに王朝創業者の李淵の時代から太上老君を始祖として崇めていたことを証する確かな証拠なのだ。

その後、唐王朝第3代皇帝高宗の666(乾封元)年には老子に太上玄元皇帝なる尊号が贈られる。そして、道教に心酔した8世紀の玄宗皇帝の時代ともなると、老子に対する尊崇は一層高まる。例えば『史記』において老子の伝記はそもそも列伝第三に置かれているのだが、735(開元23)年には列伝の首に置くべしとの勅命が下される。また老子の尊号も次々に加上され、754(天宝13)年にはついに大仰で道教風の聖祖高上大道金闕玄元天皇大帝となったのであった。