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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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どんなに小さな活動も人との関わりを大切に

2014年1月16日付 中外日報(社説)

社会的起業においては、どんな活動や事業も一人から始まる。今、NPO法人フードバンク山梨の「食のセーフティネット事業」が独立行政法人福祉医療機構の助成を受けた全国1030事業のうち、2事業のみのトップ(S)ランクの評価を得たことで、関係各方面から注目を集めている。こうした成果ばかりに目がいってしまいがちだが、この事業も本はといえば、創立者で現理事長の米山けい子氏がたった一人から自宅を拠点に、自分にできる「余り物を活かした人だすけ」を行ったところから始まったのである。

少し注意深く世の中に目を向ければ、人々が何に困窮し、何に悩んでいるかは、よく見えてくるはずだ。自分なりのやり方で、社会のニーズに応えることは、いくらでもできるだろう。どこからでも、誰からでも、また今からでも、社会貢献活動は始められる。同じことは宗教の社会的関わりにおいてもいえるのではないか。

結果として、不特定多数を相手にして、多方面の領域で活動を展開する寺院や教会も出てこよう。しかし、これらの宗教施設が最初から大きかったわけではない。また、そのように大きくすることだけが意義あることでもないのだ。

むしろ、これとは逆に、限られたメンバーシップで、宗教縁に基づく親密圏を形成する寺院や教会があってもよい。たとえ一種の会員制クラブのようであっても、それで人々がほっと一息つける居場所を提供できることは、現代の無縁社会の中にあっては貴重なことだからである。そこに、救いを求める人々に向き合い、共に寄り添っていく宗教者がいる。このことが、小さな働きながらも、社会を片隅から温かくしていくことにつながる。

どちらの方向も宗教的に見れば神仏の思いが働いているはずだ。要は、自分らしい宗教活動とは何かを追求していくことであり、他の宗教者や宗教施設のやり方を参考にすることはあっても、比較して競争したりする必要はない。

活動している宗教者や宗教組織は、いずれも社会の諸問題を通じての関わりから人々とのつながりを見いだし、それを大切にしている。うがった見方をすれば、そうすることによって、宗教自体が社会における自らの居場所を得ているといえるかもしれない。葬祭儀礼や心身の癒やし、暮らしの相談という既存の関わりがあるならば、今後はこれらの関わりの延長でさらに一歩進み、人々に何か新しいニーズがないか、探っていくべきである。