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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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国境が高くなれば人は人間性を失う

2014年1月9日付 中外日報(社説)

芥川賞初回受賞作家の石川達三が、旧日本軍の南京攻略戦の取材を基に書き上げた小説『生きている兵隊』に、次の一節がある。

「平和な時には彼の宗教は国境を越えるだけのひろさをもっていた。戦時にあってそれが出来なくなったのは、宗教が無力になったというよりも、国境が越え難く高いものになって来た」

「彼」とは「南京事件」があった戦場で殺りくを行う従軍僧として登場する人物。小説が掲載された『中央公論』昭和13年3月号は「時局柄不穏当」と発禁処分、石川も禁固4月、執行猶予3年の判決を受けた。世に『生きている兵隊』事件として知られる。

小説にはショベルで敵をたたき殺す「彼」の手首の数珠が「からからと乾いた音をたて」といささかショッキングな文章もあるが、それよりさっきの一節に目がくぎ付けになった。周辺国との国境が高くなる一方の今の時代状況を傍観する危うさを、不意に鋭く問われたような気分にさせられた。

最近、世相が「息苦しくなってきた」という声をよく耳にする。社会の動向への深い懸念がこもり、一言では説明し難い。共に昭和史の専門家で作家の半藤一利、保阪正康両氏が昨今の世のありようを1930(昭和5)年以降の日本に似てきたと論じている(東洋経済新報社刊『そして、メディアは日本を戦争に導いた』)が、強いて言うならその感覚に近い。翌年には満州事変が発生した。

かつて戦争は若者が死んだ。今の戦争は非戦闘員の婦女子や高齢者が犠牲になる。昨秋、自衛隊が尖閣諸島を想定し、離島を敵国から奪還する大規模な訓練を行ったが、仮にそのような事態が現実になったら本土や沖縄住民はどんな状況に置かれるか、多少とも考えてみたのだろうか。安倍晋三首相の靖国参拝もそうだが、周辺国との対立とナショナリズムを刺激するような振る舞いは実に危険だ。この国は有事に人々の生命が軽視され生活の回復も進まない。阪神・淡路大震災の時も、東日本大震災でも経験済みのはずである。

『生きている兵隊』に戻ると、想像を超える戦場の過酷さを作家は伝えたかったとされる。その過酷さ故に作中の「彼」は僧の心を失った。石川は「彼」の部隊の指揮官に「国境を越えた宗教というものは無いか」と語らせ、従軍僧が敵の戦死者に手を合わせてやらぬと聞いて暗い失望を感じたという趣旨の文章を続ける。

現代の宗教者は国境を低くする一層の努力を迫られている。そんな思いに駆られる時代である。