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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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災害の体験が教えた命の源への畏怖の念

2014年1月1日付 中外日報(社説)

「自分は無宗教」だと称する日本人が多いが、死や死者に向き合う経験を通して宗教の意義を見直す人も少なくない。そして死や死者に向き合う経験を持たずに一生を終える人はごくわずかだ。

『徒然草』の第49段(島内裕子氏現代語訳)には「老年期になってから、初めて仏道を修行しようなどと考えて、老年になるのを待ってはならない」とある。現代人にとって耳の痛い警告である。

科学技術の進歩で老年まで死を意識しないで済む時代だが、死について考えずに老年まで来てしまう人生はどこかおかしいと感じる人も増えてきた。東日本大震災と福島原発災害は「死を意識して生きる」人の増大をもたらした。

大きな視野から捉えると、死は人が統御できない「いのち」の在り方を代表する。人が統御できない「いのち」の在り方に人間は深い畏怖や感謝の念を抱いてきた。宗教はその畏怖や感謝の念を結晶させたものといえる。

福島原発災害後、あるロックグループ(フライング・ダッチマン)は「お金も大事だけどもっと大事なものもあるよね」と呼び掛けて若者の共感を呼んだ(「ヒューマン・エラー」)。「どんなに遠回りしたって 何度生まれ変わったって 目指すところはひとつさ 愛だろ 愛だろ 愛」とも歌っている。金や物量が幸せをもたらす現代社会の在り方に対置し、「いのち」や「愛」を求める――ここでは昔から宗教が指し示してきたものと近い何かがある。

金と物で幸せを量る現代文明を見直そうとする若者が増えているのかもしれない。「無宗教」を自称しながら、「死を忘れるな」と説く兼好法師の言葉に共鳴する若者も少ないとは限らない。生きる上で何を尊ばなくてはならないか、そう問い掛ける気持ちは多くの人の心のどこかに存在する。

3・11から3年がたとうとしている。被災地で「忘れないでほしい」との言葉をしばしば聞く。それには災害を通し、死と向き合うことを通して「いのち」や「愛」の尊さを思い起こした、そのことを大切にしたいというメッセージもこもっているように思う。

「復興」を応援したい。だが、物財の拡充に力点を置いたものではなく、「忘れないでほしい」という気持ちに沿った「復興」でなくてはならないだろう。「死」を強く意識して「尊いいのち」に思いを致す気持ちを忘れないようにしたい。それは、日本の社会が経済成長と共に忘れかかっている「宗教的なもの」に、思いを深めることにもつながるはずだ。