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他者の命を軽んじる責任不在の社会構造

2013年11月30日付 中外日報(社説)

福島原発事故の直後、放射性ヨウ素の被ばくが懸念された。チェルノブイリ事故後には、たくさんの子供が甲状腺がんにかかった。今は大人の発病が増えており、数万人に及ぶという推定もある(牧野淳一郎『原発事故と科学的方法』)。だが、適切な時期に安定ヨウ素剤を服用すればかなりの程度、被害を防ぐことができる。チェルノブイリ事故後のポーランドでは安定ヨウ素剤の服用が適切になされたため、ほとんど甲状腺がんが増えていないという。

福島原発事故はどうだったか。事故後1、2週間が決定的に重要だった。原子力安全委員会は服用の指示を出した。だが、幾つかの市町村で服用されただけで、多くの市町村では服用されなかった。服用を止める指示が出た。大きな理由は「過剰な不安を起こすから」ということだった。

福島県のリスクアドバイザーや放射線医学総合研究所の緊急被ばく医療の専門家は服用させるべきだったと述べている。どうしてなされなかったのか、どこに責任があるのか、今は闇の中のような状態だ。被害を少なく見せ掛けたいという意思が強く働かないかという懸念もある。事あるごとに政府はそうした姿勢を見せるからだ。

同様のことは、津波による原子炉の破壊が「想定外」かどうかという議論でも見られた。想定可能だったのが、どこかで「想定外」扱いになってしまったのだ。東電もメーカーも政府も科学者も責任を問われることがない。そして進んで原発輸出がなされる。またも安全軽視が繰り返される。

こうした事態は日中戦争から太平洋戦争にのめり込んでいく過去の日本にもあった。政治学者の丸山真男は天皇制日本の無責任体制として分析した。だが、戦後も事情は変わらない。原発をめぐる無責任体制は日本だけの特徴でもない。原爆・原発に関して「被害が隠される」事態はさまざまな国で度々起こる。むしろ、無責任体制は現代世界のそこここにあると見なす必要がある。

なぜこのようなことが起こるのか。責任を問われないために、他者のいのちを軽んじるようなことが許されてしまうのか。背後には国際社会が、軍事的な秩序と大経済組織の利益を優先しているという事態がある。軍事的、経済的に強い者勝ちという原理が今もしっかり生きている。暴力が大手を振って通用する世界があり、平和なはずの国々の平穏なはずの生活にまで侵入してきている。平和を希求し、いのちを尊ぶ宗教はそれを見過ごしてはおけないだろう。