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テレビが作りだす根拠ない神社作法

2013年11月21日付 中外日報(社説)

神社関係者から最近参拝者が妙に似通った作法をするようになったという声を聞く。例えば参道の真ん中を歩かず、端を歩く人がいる。鳥居の前で一礼する人が増えた。女性が音を出さずに柏手を打つということもあるようだ。

これはどうやらテレビで神社参拝の独自な作法を説くような番組が増えたことの影響らしい。女性が柏手の際に音を出してはいけないというのは、有名な女性占い師が言ったようである。さすがにここまで根拠のない話になると、神社関係者も捨てておけないような事態である。

神社への参拝は正式と略式がある。神社に昇殿して正式に参拝する場合には、どのようにすべきか、神職なり巫女なりが指示してくれる。しかし略式の参拝は、ある意味で多少の自由さを許容してなされてきた。にもかかわらず、あたかも正式な作法が決まっているかのように、しかも神社関係者ではない人がテレビで自由に発言するというのが現状である。

この背景には、テレビの番組を制作するスタッフが、概して驚くほど宗教について無知という現実が関わっている。おそらく誰に解説してもらうべきかの判断すらおぼつかない下請け会社があるのだろう。これは多少なりとも番組制作の相談を受けた経験のある人なら、憶測ではないと実感するはずである。

さらにまた情報時代特有の現象がこれに輪を掛ける。誰かが根拠なくしゃべったことでも、いったんどこかに公表されると、それを自分で確かめず、コピーしていくという構造である。インターネットで、ある言葉を検索すると、ほとんど同じ内容のコピーが上位に集まるのはこれに起因する。

仏教ならば宗派ごとに作法や教義が明確であるので、間違って紹介された場合には、抗議しやすい。だが、神社神道の場合、教えや儀礼が社会的な習俗と大きく重なっていて、正しいとか間違っているとか言いづらいものがある。神社ごとの違いもある。

そこでかなり多くの神社関係者が変だと感じても、抗議しにくいような場合が出てくる。それをいいことに、勝手な解釈が繰り返し借用され、いつの間にかそれが伝統的な解釈であったかのように受け取られるという事態になっているのである。

ちょっとした自我流解釈はともかく、あまりに根拠のないものには、テレビ局に是正を求めるというのも一つの方法である。そうでもしない限り、いいかげんさに歯止めが利かなくなる恐れがある。