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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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感傷ではなく学びを 「記念碑」を考え直す

2013年11月12日付 中外日報(社説)

この秋、岩手県陸前高田市に「奇跡の一本松駅」という、JR大船渡線代替高速バスの臨時駅が設置された。有名な一本松の見学客向けだ。確かに観光シーズンに客が東北の被災地を訪れ、復興にプラスになるのは結構なことだ。

しかし先般訪問した際、家族も家も津波で失った若い男性は「観光客が復興工事の車が通る道に駐車し、松や瓦礫の前でポーズを取って記念写真を撮影するのはやりきれない。オリンピックで浮かれるより、この廃虚を何とかしてほしい」。観光バスが入る広場の警備の男性は「復興事業ももうかるのは県外のゼネコンだけ。松の保存に1億円以上もかける前にすることがあるのでは」と訴えた。

東日本大震災の記憶を語り継ぐために災禍を物語る遺物をモニュメントにするかどうか、各地で論議が続く。宮城県南三陸町の防災庁舎は犠牲者遺族の心情も受けて撤去が決まり、気仙沼市では内陸まで打ち上げられていた巨大な船が論議の末、解体された。

一本松もそうだが、岩手県大槌町で計画されている慰霊施設や多くの職員が亡くなった役場庁舎跡の保存問題でも、「外部の人たちが自分たちの思い込みで進めている」との地元住職らの声がある。「記念碑」がなければ悲劇を忘れてしまうのか、それがあれば本当にずっと記憶に留めるのか。家族を亡くした被災者は記念碑がなくても決して忘れることなどない。

一過性の「世論」による表面的な「ロマン」だけでモニュメントを残すならば、昔の三陸津波の碑が顧みられることなく低地に市街地開発が進められたという今回の震災の重い教訓は、むしろ生かされないかもしれない。

震災後に「復興へのシンボル」として全国に知られるようになった大槌湾内の「ひょうたん島」を訪れたのは、ちょうど防波堤によって島が以前通り岸と陸続きになった日だった。島は神社の大きな赤鳥居が津波で根元から倒壊したままだったが、赤ん坊を抱いた若い夫婦がさっそく歩いて渡り、スナップ写真を撮っていた。夫が「子どものころからよく遊んだ場所です」と、住民の心のよりどころであることを教えてくれた。

やはり保存論議に揺れた釜石市鵜住居地区防災センター。避難していた100人以上が建物内で亡くなった現場で、40人ほどの団体が祭壇に手を合わせ、市職員の説明を聞きながら熱心に見学していた。「南海トラフ地震に備える9県担当課長会議」の視察団。このように将来への学びに生かされてこそのモニュメントだろう。